Vol.01

―これまでもceroにおいて、アルバムを作り終えてからリリースまでの期間を幾度も経験していると思いますが、今回は初のソロ・プロジェクト作品ということで、今、どんな気持ちですか?

髙城:ceroのときは、大体〆切ギリギリまで作業をしていているんですけど…(笑)、今回は珍しく余裕をもって完成させることができたんです。だからなのか、今のところ自分と作品との間にいい感じの距離感がある気がしますね。

―これまではリリースに際して作品を俯瞰して見るのが難しかったってことですかね?まだ距離が近すぎて。

髙城:そうそう。まだ自分達の中で整理できず、「ああ〜、なんだかすごく変なもの作っちゃったんじゃないか……」っていう状態のままプロモーションとかに突入しちゃうって感じで。インタビューでも、「あの曲のあの部分がうまくいかなかったんですけど、なんかスミマセン」みたいにしゃべるパターンが多かったり(笑)。でも今回はそういう感じはないですかね。

―ゆったりと作っていったということですかね?

髙城:そうですね。制作に着手してから、もう3年くらい経ったのかな。

―元々髙城さんは弾き語りだったり、ソロ活動はしてましたよね。今回のようなバンド形態でやろうというアイデアが出てきたのはいつくらい?

髙城:普通に「髙城晶平」っていう名義でなんとなくやっていたソロ活動とは全く違うプロジェクトを立ち上げようって考えだしたのは、もしかするともっと前からかもしれないですね。

―以前あるフェスの現場で会ったとき、多分2013年くらいだと思うんですけど、いずれはバンドと並行してちゃんとコンセプトを持ったソロ・プロジェクトをやっていきたい、いくべきだと、話してくれた記憶があるんですよ。

髙城:あ、そんな頃から言ってましたっけ(笑)。さすがにまだその時はぼんやりしたイメージだったと思うけど、僕がはっきり記憶しているのは、ceroの『Obscure Ride』(2015年)が出た後。その頃出演した大阪のフェスの打ち上げで、社長(角張渉)に言ったんですよ。「後1枚ceroでアルバムを出したら次はソロ・プロジェクトをやらせてください」って。

―そのあたりでなにか自分の中での大きな変化があったということなんでしょうか?

髙城:『Obscure Ride』を出したときって、自分たちが30歳くらいで。強く思っていたのは、バンドっていうもの自体がある種の人格を持ちはじめて、自分たちもそれに依存しはじめると危ないなってことだったんです。やっぱり突き詰めるならまずは何よりも個人として健全な状態で居つづけるべきだ、と。その頃から、集団と個人っていうものの関係性を前にもまして意識するようになりました。例えば、マラソンや自転車レースとかでも、集団を形成してそれを利用しながら一緒に走るからこそ踏破できるし、良い記録も出る。でも、結局最終的にゴールするのは個人であって、そこを大前提とすべきじゃないですか。そういういう考え方は、バンドという集団にとっても同じだなと。その点、ヒップホップのグループとかは明快ですよね。クルーとして一つ大きな成功体験を経たらフットワーク軽くバッと個人として活動していく。そういうことは普通にロックやポップスの、いわゆる「バンド」にもあったほうがいいと思っていて。まあ、それこそ今の若い子たちとかはあまりそういうこと考え過ぎず、柔軟にやっているような気がしますけど。自分たちくらいの世代の人間も、そういう発想を持つことに遅すぎることはないと思っていて。

―ceroという存在が上り調子に大きくなってきて、自分たちのコントロールが効かなくなることへの警戒みたいなものもあった…?

髙城:うーん、でもまあ、そこまでバンドの環境が変わったっていう実感があったわけでもないんですよね。というか、僕たちの中身は本当に変わらなすぎて…僕にしても、はしもっちゃん(橋本翼)にしても、あらぴー(荒内佑)にしても、知り合った当時のティーンエイジャー同士の関係性のまま成熟していってしまうっていう(笑)。いわゆる「ネオテニー」的な……。

―ああ、そういうのって、一般社会だとわりと稀かも……。

髙城:だと思います。でも、バンドという形態ではよくある話だと思うんです。三人で集まると、どうしても気持ちが高校生の延長みたいになってしまう。で、個人の生活へ戻ってみると、突然歳を取ったような感覚に……浦島太郎みたいな(笑)。もちろん、ceroがあるというのは、いつでも純粋な気持ちに立ち帰れる場所があるってことでもあるので、すごくいいことだと思います。そういう意味で、今回のプロジェクトをはじめた動機としてもう一つ大きいのは、そこ(cero)にプラスして自分の年齢の経過とともに育んでいける音楽的な柱がもう一本あったら素晴らしいなっていうことですね。

―それは既存のceroファンに対しても新たな音楽への接し方を提示することにもなるかもしれないですよね。

髙城:そうそう。一部のお客さんに、過度にceroという存在に依存しているんじゃないかなって思うこともあるし。そういうふうに大事に思ってくれるのはありがたいことなんだけど……。

―今回のプロジェクトって、むかしのロックバンドでよくあったような、バンド内の関係性が瓦解していく中でやむを得ず選択されるソロ活動、みたいなことじゃなくて、今言ってくれたようにあくまで相互補完的なものですよね。

髙城:そう。やっぱり始めるタイミングはいつがいいのかはかなり考えましたね。ceroがこれからも続いていく中で、40歳になってからじゃ絶対遅いだろうし。今がベストかもなって。遅すぎるくらいかもだけど。

―<Shohei Takagi Parallela Botanica>というプロジェクト名について教えて下さい。

髙城:僕が小さい頃から読んでいた『ノーダリニッチ島 K・スギャーマ博士の動物図鑑』(K・スギャーマ絵 絵本館, 1991年)という、架空の島に住む架空の動物を扱った絵本辞典があるんですけど、それをたまたまうちの上の子供に読んであげたらスゴくハマって、毎晩せがまれるようになって(笑)。自分としてもすごく懐かしくて、思い入れのある本だったし内容も結構覚えているんですよね。それをヒントに自分のソロ・プロジェクトの名前を付けるのも面白いかもなと思って、他の架空の生物図鑑についてもいろいろ調べてみたんです。スギャーマ博士のシリーズには植物編もあるんだけど、更にそのジャンルの名著としてレオ・レオニの『平行植物』(レオ・レオーニ 絵・著, 宮本淳 訳 工作舎, 1980年)という本があるということを知って。で、その原著名が『La Botanica Parallela』だったんです。それをひっくり返して。単純に響きの良さですね(笑)。絶対に「髙城晶平」って表記で始動するのは嫌だったんです。めちゃくちゃ現実的な理由で申し訳ないんだけど、グッズとか作ったときに、自分の本名がただドーンっと載っちゃうのは流石にないなと(笑)。

―ははは。

髙城:せっかくならブランド的に見栄えのするものの方がいいじゃないですか(笑)。 で、そのあと初ライブを渋谷のCLUB QUATTROでやったとき、ライブのMCでなんとなく自分の口から出てきたので後付ではあるんですけど、自分の音楽が一本の木だとすると、ceroという太い枝の他にもしかしたら平行して育っていたかもしれない別の枝があるかもしれない、と。それはいつでもたどり直せるし、今こそやってみようと思った、と。その時自分で話しながら、あ、これってまさに「平行植物」っていうバンド名につながる話だな、と思って。 それと、最近読んでとても面白かったリチャード・パワーズの『オーバーストーリー』(リチャード パワーズ 著, 木原善彦 訳 新潮社, 2019年)っていう小説があるんですが、それも木に関する作品だったんです。木っていうのはどんな枯木でも新しく若芽を生やすことができる。切り株になった状態ですごく長い年月が経ったとしても、そこから新しい幹を生やすことができる、ということが書いてあって。おじさんが新しいことを始めると「いい歳して……」みたいに見られることもあるけど、木の世界では当たり前。ああ、それっていいなって思って。これもまた後付ですけどね。

―無意識的に隠された意味合いが後から引き出されたという感じですね。 今作には多彩なミュージシャンが参加していますが、どんな風にメンバーを集めていったんですか?

髙城:一番最初はドラムのみっちゃん(光永渉)でしたね。ceroで一緒にやりながら、ceroとは全く違った音楽の話をよく彼としているんですけど、そのうちに、「こういう音楽を別のところでみっちゃんとやりたいな」って思うようになっていったんです。 で、そこから枝葉を伸ばしていって、みっちゃんと大学時代から繋がりのあった秋田ゴールドマンくん(SOIL&"PIMP"SESSIONS)をウッドベースとして声をかけて。秋田くんは大学を出てから即プロの現場で仕事しはじめていて、みっちゃんも長くインディーシーン中心に演奏しているんだけど、長らく二人で一緒に演奏することって無かったらしいんですよ。その二人が自分のプロジェクトで一緒に演るとか胸熱だなと。 サックスのハラ(ナツコ)さんは本当に長い付き合いですね。2000年代からいろんな現場で会っているけど、意外と一緒に音を出したことなかったので、この機会にぜひやりたいなと思って。ここ最近、ceroもそうですけど、バンドに二人は女性プレイヤーを入れたいなという気持ちでやっていて。

―それは、コミュニティにおけるジェンダー多様性の推進という発想から……?

髙城:そういう視点もないわけではないけど、単純にコーラスとか含めて、女性のプレイヤーと一緒に演奏すると音楽的にとてもしっくりくるんですよね。制作現場の空気においてもホモソーシャル的な煮詰まりみたいなものが避けられるし、スムーズに作業が運ぶ気がしていて。

―中山うりさんの参加も、「そこ繋がりあったんだ!」と若干意外な気がしました。

髙城: 2013年に渋谷のO-EASTで、ceroとペトロールズとうりさんっていう面白い組み合わせのスリーマン企画があって、そのときの演奏がすごく良かったんです。アコーディオンや歌はもちろん、トランペットがもう激ウマで。後で聞いたら吹奏楽部の全国大会とかでバリバリ活躍していたこともあるらしくて。それ以来ずっと心のブックマークに入れさせてもらって(笑)、いつか絶対一緒にやりたいなと思ってたんです。

―新旧の人脈が混じっているように見えて、実は以前からの活動の蓄積の中でつながっていった人たちなんですね。

髙城:そうそう。伴瀬(朝彦)さんも古くからの仲間だし、もちろん松井(泉)さんも、角ちゃん(角銅真実)、武嶋(聡)さん、田島(華乃)さん、(高田)漣さんも、あらためて素晴らしいミュージシャンが集まってくれたと思います。もちろん、これが今後の固定メンバーってことじゃなくて、あくまで今回のアルバムはこういうセットアップで制作した、ということですね。

―収録曲からかつて弾き語りでやっていたオリジナル曲はオミットされていると思うのですが、それは何故なんでしょうか?

髙城:その頃の曲は、「弾き語りでライブやりませんか?」ってお誘いがあってから、「よし、じゃ一丁作るか」みたいな感じで作ることが多くて、そのときそのときの自分の日記のような感覚だったんです。だからあまりまとまりのあるものじゃなかったし、これから長くやっていくって考えたときに、より方向性のしっかりしたものがいいだろうと思ったんです。だから今回はイチから作っていこうと。

―日々起きたことの描写とか、内面の吐露とか、いわゆる一般に謂う「シンガー・ソングライター」的な存在とは自分は違うという意識があるということなんでしょうか?

髙城:うーん、そうですね。もう少しコンセプチュアルで絵画的というか…より美術的な観点が強いんだと思います。

―よくある「シンガーソングライター・ミュージック」と分け隔ている点として、Sauce81さんに参加も大きいように感じます。

髙城:そうですね。ただの参加というレベル以上の、共同プロデュースという感じ。

―なぜ一緒に制作しようと?

髙城: ceroで何度かコラボレーションをしているんですけど、そのどれもでとてもいい仕事ができた手応えがあったんです。中でも「街の報せ」(2016年)B面の「ロープウェー」。思い返せば、あれが今のソロ・プロジェクトのプレ段階と言えるものだったかも。

―「ロープウェー」では具体的にはどういった共同作業だったんでしょうか?

髙城:僕が作ったデモのオケに仮で入っている音をビートメイク的に打ち直してもらうっていう作業。「街の報せ」の時期は、これまで一緒にやったことのない人とどんどんやろうっていうモードだったし、ぜひ次に繋げたいなと思っていて。うりさんと同じく、心のブックマークにしまってあって(笑)。

―自身でシンセなりDAWをいじって作るというのではなく……。

髙城:もちろん自分でもそういうことが出来たらいいだろうなって思うこともあるし、そういう作風の人に憧れる部分もあるけど、多分僕はどこまでも一人で完結したいというタイプじゃないんですよね。誰かとコミュニケーションを取りながら作るのが楽しいし、それがもっともやりやすいスタイルだから、このアルバムも最初から他のミュージシャンの協力ありきで考えていました。

―昔からそういう傾向があった?

髙城:ceroの『World Record』(2011年)の頃とかは多少自己完結的な欲求はあったかもしれませんけどね。でもこれまでの活動を通して、自分が得意とするところは具体的な技術面ではなくて、もっと大局的なところの采配だなと思うようになって。

―今作でのSauce81さんとのコラボレーション、成果としてはいかがですか?

髙城:すごく手応えを感じたし、改めて深いレベルで人と関わりながら作るのは楽しいなと思いましたね。なんだろう、仮に自分一人の手で作っていたらもっと素面なものになっただろうな、とか。

―素面?

髙城:例えば……今回のプロジェクト発足の契機の一つとなったのがジョー・ヘンリーの音楽なんですけど、彼のアルバム“Scar”(2001年)、“Tiny Voices”(2003年)、“Civilians”(2007年)あたりの素面じゃない音空間というか、どこかおかしい、わけのわからない世界に足をつっこんでいくような陶酔感を目指したところがあって。それを実現するにあたってはSauce81さんをはじめとしたみんなの力が大きかったと思います。

―いわゆる普通のルーツロック的なものにとどまらない世界を目指した?

髙城:そうそう。軸にあるのはルーツロックなんだけど、音響の効果でそこを超えた世界を作り出している感じ。具体的に言うなら色々な汚しとか、ノイズの処理とか…。

―それって、いわゆる「ローファイ」的な感覚に近いんですかね。ところどころ団子状になっているようなドロっとした音像…。

髙城:うんうん。一口に「ローファイ」って言っても人それぞれイメージしているものが違うかもしれないんですが、「ローファイ」っていう概念の発明自体にさかのぼって、90年代のラテン・プレイ・ボーイズとか、そのメンバーであるミッチェル・フルームとチャド・ブレイクとか、初期ベックとか、そのへんの音楽が元々好きでよく聴いていたんです。それこそジョー・ヘンリーも、そういう系譜で聴いてみて、これは面白い音楽だと思って。

―一方で「ローファイ」って、昨今では当時の転覆的な意味合いを剥奪されて、ただ音の再現性の低精度を指していうようにもなっている印象がありますよね。あるいは「ローファイ」であることが自明化して、本来あったはずの緊張感がなく弛緩しているようなものとか……。

髙城:わかります。だから、今回はそのあたりのさじ加減を相当気にして作りました。なんというか……調味料が「ローファイ」なんじゃなくて、出汁からして「ローファイ」なものを目指すというか…(笑)。パズルのピースのように各音楽要素を綺麗に扱って全体を完成させると、そこで鳴っている音楽以上の次元にリーチするのは難しい。元々「ローファイ」っていうのは、その壁を超えるのに良いアイデアだったんだなっていうことを改めて思っていて。 そんな中でSauce81さんは、録音している中で僕だったらゴミのように捨ててしまうような音の断片を大事に取っておいて、後でミックスのときに持ってくるような作業をしてくれて。ギターを弾いてない時に鳴っていた「ジー」っていうノイズとか…。「ローファイ」ってつまりはそういうことだったのかな、と。音楽を「組み立てる」だけじゃなくて、もっと根源的なレベルの「音楽のデザイン」的な考え方というか。

−なるほど。

髙城:そういう自覚的な意識のもとに「ローファイ」を実践するっていうポストモダンな考えがあった上で、今活躍しているサラミ・ローズ・ジョー・ルイスとか、キング・クルールとかも、本来の「ローファイ」の系譜の上で聴いてみると、脈々と続いているものが見えてきますよね。そういう系譜にある音楽が今の日本の中で果たしてやられているのかということを考えてしまう。単純に機材が貧弱でローファイになっているものも、確かにそれ固有の魅力があるにせよ、腰を据えてローファイを志向している音楽ってあんまりないのかなって思っていて。だから、それを今自分がやったら面白いかなと思って。

Vol.02へ続く