歌と演奏 / 思い出野郎Aチーム

20189/5wedon sale!

魂踊るソウルミュージック!
色々あるけど、楽しく暮らそう!

昨年カクバリズムからリリースした2ndアルバム『夜のすべて』が音楽を愛してやまない人々から熱狂的な支持を受けた思い出野郎Aチーム。「ダンスに間に合う」というアフターシックス・アンセムも生み出し、日本全国、大小さまざまなクラブやライブハウス、お茶の間の夜を彩った彼らが、夏の終わりにぴったりの、愛と切なさが詰まった1stEP『楽しく暮らそう』をリリースします!風通しのよいイントロから、ポジティブかつファットなビートと爽やかなコード隊、歯切れ良く迫力のあるホーンセクションに乗せてタフに歌い上げる、ニュー・ソウルや70’sシカゴ・ソウルを思い出野郎流にアップデートさせたヤング・ソウル・チューン「楽しく暮らそう」、たたみかけるような高揚感たっぷりのアップテンポな哀愁ノーザン・ソウル「去った!」から、世の中に溢れるヘイト、ダンスが制約される社会に疑問符を投げかけるロッキン・レゲエ・ディスコ「無許可のパーティー」へと続き、無国籍&サヴァーバンな新境地「サマーカセット」、ヴィンテージなリズムマシーンと生バンドが優しく絡み合うゴスペルライクなメロウ・モダン・ソウル「僕らのソウルミュージック」の全5曲。稀代の詩人、高橋一の胸を打つ歌詞に、あらゆるダンスミュージックにリスペクトを掲げるメンバーが醸すグルーブが生み出す新しいソウル・ミュージックは、日々暮らしづらくなっていく生活に優しく寄り添い、ほんの少しの潤いと希望を与えてくれる一枚となりました!
思い出野郎Aチーム
1st EP『楽しく暮らそう』
収録曲:
01. 楽しく暮らそう
02. 去った!
03. 無許可のパーティー
04. サマーカセット
05. 僕らのソウルミュージック
DDCK-1056 全5曲収録  1,800円+税

去った!

楽しく暮らそう

オフィシャルトレーラー

ライブスケジュール

11月4日(日)大阪 246 LIVE HOUSE GABU

OPEN 18:00 / START 19:00
前売 3,000円 / 当日 3800円(ドリンク代別途要)
プレイガイド発売—9月22日 (土)
ぴあ(P:128-384)、e+ (pre:9/10 12:00-17 23:59)、ローソン(L:54799)
(問)SMASH WEST06-6535-5569

11月9日(金)東京 キネマ倶楽部

OPEN 19:00 / START 20:00
前売 3,000円 / 当日 3800円(ドリンク代別途要)
プレイガイド発売—9月22日 (土)
ぴあ(P:127-928)、e+ (pre:9/10 12:00 – 17 23:59)、ローソン(L:72006)
(問)SMASH 03-3444-6751

インタビュー

去年のアルバム『夜のすべて』リリース以降のライヴで、思い出野郎Aチームは7人編成から8人編成になった。彼らがまだ多摩美術大学の学生だった結成当時のオリジナル・メンバーである「山さん」こと山入端祥太が、数年ぶりにトロンボーンで復帰したのだ。頼れる仲間が復活し、3管(トランペット、トロンボーン、バリトン・サックス)になり、コーラスも厚くなり、バンドとしての肉体性もさらに増したまさに今現在の姿を封じ込めたのが最新ミニ・アルバム『楽しく暮らそう』ということになる。
それにしても、この8人。話してるとおじさんなんだかガキなんだかわからなくなる。長く一緒にいるのによく飽きないよなとも感心する。だけど、メンバーそれぞれをつぶさに見ていくと、もともとのサークルは一緒でも学年も年齢も性格もかなり違ってる。せっかくだから、完全体になった思い出野郎どもを、各キャラクターやバンドとの関わりからひもといていくリレー対談をやってみたらおもしろそう。
ホストは、バンドのフロントマンである「マコイチ」こと高橋一。関連性の強い2人ずつを招いてのリレー対談で、思い出野郎のいい思い出も、あきれた歴史も、最高のソウルの源泉も、すべて明らかになるかも!
というわけで、バンド8人、活動9年目、来年は結成10年を迎える彼らの愛すべき部室感あふれるトークを、4回連続でお届け。

テキスト・松永良平
Part.1 高橋一(Vo,Tp) × 長岡智顕(Ba) × 松下源(Per)

松下 思い出野郎って、よく考えたら来年10周年なわけじゃん。

高橋 10周年!

松下 来年で10年ってことは、意外に俺ら、若手ではないよね。

高橋 10年でCD3枚。まずまずなのかな。

松下 10年間ずっと週1、2のペースでみんな会って、だんだん倫理観がおかしくなってきてる。

高橋 いや、おかしくなってないでしょ?

松下 だって、同世代くらいの普通の人からしたら、めっちゃ幼稚だと思う(笑)。たぶん、俺らの会話をはたから見たら「何言ってるんだろう?」みたいな感じだよね。

高橋 打ち上げでもだんだん俺らの卓から人が減ってく。外部の人から見たらぜんぜんおもしろくないことで笑ってるしね。「シコシコシコシコ」みたいな(笑)。

──何それ!(笑)

高橋 (宮本)直明さんが最近導入したストライモンのロータリー・シュミレーターのスピード説明を「シコシコ」で再現する、みたいな。

松下 それをリハ中にみんなで爆笑して。

高橋 さらに打ち上げでも話して笑ってるんだけど、他の誰にも伝わらない。ただ「きもちわる!」って思われるだけ(笑)。こないだ伊勢にライヴで行くときも、ハイエースの中でずーっとしりとりしてたし。必ず斎藤(録音)くんを経由するしりとり(笑)

──10年近く一緒にいると、誰かと誰かがケンカしたり、険悪になったりはないんですか?

高橋 ほとんどないですね。

松下 まあ、ケンカはいくらでもあるんですよ。でも長い間気まずくなる、みたいなのはないですね。せいぜい何かあったとしても、次の週にスタジオ行くのが恥ずかしい、くらいで(笑)

高橋 あんまり音楽絡みはないよね。たとえば、増田(薫)の直明さんイジリがちょっと失礼だったので、「おまえ、いいかげんにせえや!」ってなる、みたいな、そういうのが多い(笑)

──大学から一緒とはいえ、じつはメンバー間には微妙な年齢や学年の差があって、そこが絶妙にバランサーというか緩衝材になってるのかも。

高橋 逆に、全員タメのほうがケンカになりやすいのかな。俺らは年上でも後輩感がある人もいるし。

松下 長岡も10年一緒にいるけど、「マコイチさん」とかみたいに年上には敬語だもんね。

──むしろ源ちゃんは後輩なのに何故、みんなにタメ口なの?(笑)

松下 なんか、俺は縦社会みたいなのが苦手なんですよ。

高橋 でもさ、高校は全寮制の学校で、ラグビー部だったんだから、むしろガチガチの縦社会だったんじゃないの?

松下 そういえばそうだね。ガチガチの体育会系だったんだけど、人との距離の取り方が違ったかな。

高橋 でも源ちゃんのタメ口は、後輩としてのキャラを確立した上でのタメ口みたいなノリがある。ヤンキーの「なんとかっしょ」みたいなさ。長岡くんがいきなりタメ口で話すと、「どうした?」みたいな感じになる(笑)。あ、でも、長岡くんは斎藤くんにはタメ口だよね。歳は斎藤くんが上だけど、学年が一緒だから、芸人とおなじシステムなのかも。あと、先輩だけど直明さんにもタメ口だよね(笑)

松下 自分の中にランクがあるでしょ? 「こいつは下だな」みたいな(笑)

長岡 いやいやいやいや(笑)

高橋 それも芸人システムでしょ。有吉が上島竜兵にタメ口で話すみたいな、仲がいい前提のツッコミ的な。

──でも、つくづく奇跡的なバランスで成り立ってる関係性ですよね。

松下 あ、軽くまとめた(笑)

──そして今回、結成時のメンバーだった山入端(祥太)くんが復帰して8人になったというか、オリジナルのかたちに戻って、その体制での初リリースとなったのがEP『楽しく暮らそう』なわけです。その8人の関係性から生まれたとも言える「楽しく暮らそう」感を、今回はマコイチくんをホストとしてリレー・インタビューであぶり出していこうと思ってるんですが、最初が源ちゃんと長岡くんの同級生同士。2人はもともと一緒にバンドもやってたという関係性もあって興味深いです。でも、さしあたって長岡くんの話題でいうと、今回のEPに入ってる「僕らのソウルミュージック」ですかね。これって長岡くんが持ってきた曲だそうですけど。

高橋 仮タイトルがずっと「長岡のいい曲」だったんですよ。珍しく、まるっとコード進行を持ってきて。

松下 職人気質が結構あるんですよ。ソングライティング的なこともできるし、ギターも一番うまい。思い出野郎ではベースだけど(笑)

──思い出野郎は歌詞はマコイチくんが書くけど、曲は全員で作曲というか、「あの曲のこのリフがいい」とか、そういうことをスタジオで言い合いながらサンプリング的に作っていくものが多い、って話をよく聞きますけど、「僕らのソウルミュージック」の場合は、そのベーシックにあたる部分を長岡くんが持ち込んだわけですね。

長岡 たまたま思いついたので。別に特別に変わった進行でもない、王道のいい曲風だったんですよ。それで「長岡のいい曲」っていう呼び方になったと思うんです。

高橋 でも、そういう王道みたいなのって、参照する元ネタがあると逆に作れないんですよ。参照元が大ネタだとコード進行とかで意外と自由にやれなかったりする。「あまりにそのままだからやめよう」ってなって落としどころを探すのに苦労した、みたいなことも前にあったし。「僕らのソウルミュージック」では、そういう王道感を踏まえたオリジナルを長岡が持ってきてくれたことで、今までやれなかったことをやれたというか、ゼロから作ったオリジナルだからこそ、進行自体は「あるある」でもちゃんと曲としていいじゃんと思えるところまで行けた。今後はそういうところに行きたいですね。

──長岡くんは、曲作りへの興味は今までもあったんですか?

長岡 自分ではぜんぜん作ってないんですよ。進行を考えたりはするんですけど、なかなかかたちにはならなくて。

高橋 他のメンバーはネタを持ってくるときには、「いまこういうのが好きっす」みたいな感じで、全体のコンセプトとか関係なかったりするんですけど、長岡は結構、俺らが話してることを汲んで、「いまやりたいのはこういうことっすかね」みたいな感じで持ってくるタイプなのかな。プロデューサー気質とかじゃないですけど、バンドのいまのモードを一番意識してくれてるかな。

長岡 そう言われると、めっちゃうれしいです。

松下 meiちゃん(mei ehara)のバンドでも最近アレンジやってるんでしょ?

高橋 あっちはどういう感じなの?

長岡 もともとアルバムがキセルのプロデュース(辻村豪文プロデュースで、キセルが演奏担当)で、アレンジが完全にかたちになっていたから、再現は難しいし、崩しつつどう3ピースに落とし込むかでしたね。

松下 俺らのアレンジもやってくれよ(笑)

──meiちゃんのバンドでライヴするときに、長岡くんがコーラスしてるのを見て「歌えるじゃん」って判明したので、今回のEPでもコーラスしたという流れもあったんでしょ?

高橋 昔から「長岡歌える説」はあったんですよ。

長岡 前は、弾きながらは歌えなかったんですよ。でも、meiちゃんのサポートやるんで練習してたら、ちょっとできるようになってきて。

高橋 それ、前から練習してくれよ(笑)。あと、レコーディングの日の朝にスタジオで、meiちゃん、増田、斎藤くんと長岡くんでカラオケ行ったときの動画を見せてもらったら、猿岩石の曲を長岡くんが熱唱してて(笑)。「めちゃくちゃ歌えるじゃん」ってわかったので、その日にコーラスやってもらいました。

──そう言えば、源ちゃんと長岡くんが昔やっていたバンドの話って、ちゃんと聞いたことなかった気がします。

松下 ホンネーズってパンク・バンドでした。長岡くんの前の彼女がヴォーカルで、僕がドラムで、長岡くんがベースで、もうひとりギターがいて。

高橋 Wool & The PantsのMV作ってる人がギターでしたね。

松下 でも、あのバンドでも、ほぼ長岡が曲を作ってたよね。

長岡 あれはね、確かにそう。

松下 鳴かず飛ばずでやめたよね。客は5人くらいだったし。

長岡 一番最初に「辞める」って言ったじゃん(笑)

高橋 思い出野郎の初期は、ホンネーズもよくやってたよね。多摩美でゲリラ・ライヴとかやってる映像をYouTubeで見たな。ライヴやってる横でオオヤ(イラストレーターのオオヤヨシツグ)くんがパンツ一丁で体にペイントして魚さばいてた(笑)

──アイタタタタ(笑)。でも、そこから「僕らのソウルミュージック」であり、EP『楽しく暮らそう』までたどり着いたというのも感慨深いものがありますね。

松下 この数年で、紆余曲折もありましたよね。今回の『楽しく暮らそう』は、特に「みんなで作った」感があるんですよ。初めてくらいかも。みんなのアイデアの断片をちりばめて、マコイチくんがそれをまとめて、歌詞をつけていく、みたいな。

高橋 プリプロも結構がっつりやったからね。

松下 ミニ・アルバムだけど、一番思い入れがあるし、自分たちもアップデートされてる。

高橋 納得いくまでやりこむ、ってことが一番できてる気がする。2枚アルバムを作って、やっと無駄な時間が省略できたというか、やり方がわかってきた。

──ファーストではプロデューサーとして頼れるmabanuaさんがいて、セカンドではクリックも積極的に使って細かくパンチインで音を修正もして。そういう意味では、今回は一番、思い出野郎の「らしさ」をそのまま出せてる気がします。

高橋 ライヴ感を持ってベーシックを録るということでしたね。スタジオで鳴らされてる音の一番いい状態がパッケージされてる感はある。昔のソウルのレコードって「せーの」で一緒にやってるじゃないですか。あそこへの憧れ感が今回は前より出せてるかな。

長岡 クリックよりも、ちょっと走ったりしたほうがいいっていう感じでしたね。疾走感があった。

高橋 長岡くんは溜めるタイプのベーシストで、前まではレイドバック気味に弾くというやり方が多かったんですけど、今回はシカゴ・ソウルとかノーザン・ソウルの焦燥感というか、独特の跳ね感が出したいと思って、長岡くんにもベーシックのときに「ドラムよりちょっと前めで弾いてみて」ってお願いしましたね。それで、引っ張るようなスピード感が出た。

──ファンク感というより、そのすこし前のソウル感。それが出てますよね。

高橋 そもそも、俺らをファンク・バンドって言っちゃうと、ちょっと語弊があるような気がするんですよ。今回も頭の2曲はそういう感じだと思います。

松下 いわゆるファンクみたいなのって、やんないもんね。歌ものとしては、ファンクよりちょっと前のソウルをベースにしてたほうが、歌が乗せやすいし。

高橋 Brunswickのソウルとかって、ちょっと演奏が荒いじゃないですか。荒いというか、独特の跳ね感なんですけどね。レア・グルーヴの中でもビート強めのソウル。そういうワイルドさもありながら、結構繊細なグロッケンとかストリングスが入ってるというのも好きなところで。

──話は戻りますけど、来年は10周年。

高橋 でも10年やってきた感はあんまりないですね。結構あっという間だった。ドカーンもないけど、じわじわ上がってきた感じで。そういう流れのなかで、最近周りをにぎわせてるバンドが俺らの前を通り過ぎていったな、って。俺ら、Suchmosがファーストだすちょっと前に対バンしてて、Suchmosの後に俺らだったんですよ。順番逆ですよね(笑)。でも、そういう人たちに対して俺らが下がってるわけじゃなくて、伸び率が違うんですよ。じわじわっと続けてる。それが逆にいいのかもしれない。

──イベントとか、リリースとか、何か考えてるんですか?

高橋 10周年。吉祥寺曼荼羅でイベントやるとか?(笑)

松下 自主企画〈SOUL PICNIC〉第一回(2012年12月30日、吉祥寺曼荼羅)をやったのが曼荼羅なんで。

──そういえば、そこにVIDEOくん(VIDEOTAPEMUSIC)のライヴや、ほとんど面識のなかった髙城(晶平)くんをDJに呼んだりしたのが、いろんなことの始まりでしたね。じゃあ、原点回帰するのか? それとも大きく出るのか?

高橋 それよりも、10周年は2枚組のアルバム作るしかないよ。今までの10年を表現したファンク・オペラ。今、みんな出さないよね、2枚組って。

松下 全部リミックスにすればいいんじゃない?

高橋 最初、オオヤが魚をさばく音から始まる(笑)

──10周年記念で、今まで〈SOUL PICNIC〉をやってきた全会場を1日でめぐるとかやってみたら?

松下 それぞれ、めちゃめちゃ場所は離れてるけどサーキット・イベントに(笑)

──最後に江ノ島OPPA-LAにたどり着くとかにしたら感動的かも。

高橋 そこから朝まで。それはやばい!(笑)

──(笑)はい、ではこのあたりで次の人たちを呼びましょうか。

Part.2 高橋一(Vo,Tp) × 増田薫(Sax) × 岡島良樹(Dr)

──続いての二人は……。

高橋 増田とオカジ(岡島良樹)。昔、一緒に住んでた2人です。

──ここ(高橋と岡島)が、一番付き合いが長いんでしょう?

高橋 オカジと山さん(山入端)は、同学年で、増田は一学年下です。オカジと山さんとは、最初は違うバンドも一緒にやってました。

岡島 僕が(思い出野郎に)入ったのは、あとからなんで。

──たしか、もっと本気のファンク・バンドをやってたんですよね。

高橋 本気というか、もっとガチッとしてました。そこでは僕はトランペットで、山さんがトロンボーンで、オカジがドラム。そのバンドのサイド・プロジェクトというか、遊び企画で始まったのが思い出野郎で、そっちが意外にも今まで残ってしまったという……。

岡島 (思い出野郎は)最初はもっとガレージだったよね。

高橋 カセットMTRで、バキバキに割れまくった音源作ってて。「それがレアグルーヴだ」とか言ってた(笑)。汚れた感じがいい、って。

岡島 それ(音質)によって結構ごまかされてた、ってことにだんだん気がついてく9年間でした(笑)。汚れてかっこいいと思ってたんだけど、じつは下手だったという。

──でも、9年間途切れずに毎週練習してバンド続けてきた関係って、なかなかのホモソーシャルというか。

高橋 しかも最初は週2回でしたから。木曜深夜と日曜夜。

岡島 木曜日の午前0時から4時とか。日曜は夜8時から11時。

──(岡島と増田が)一緒に暮らしてた時期の話は、前のインタビューでも聞いてますよね。

高橋 近所に住んでたEMC(Enjoy Music Club)の家に風呂借りに行って、入り浸りだったりね。

岡島 でも夕飯は作ってあげてたよ(笑)

──増田くんが真夏に生エビを放置したままどこかに行って、帰ってきた岡島くんが「絶対人が死んでる!」と思うくらいの匂いがした、っていう話も、このころですよね。

岡島 それを増田に言うと、「岡島さんが(部屋に)ガスを入れるっていうのに、いつまでも入れないからだ」って、よくわからない反撃をしてくるんですよ(笑)。増田くんは今でこそおしゃれキャラですけど、当時は、ゴミだらけの部屋の真ん中にリゾート用のビーチチェアがあって。そこにエビがボーン!って置いてあったんですよ。

増田 その時期、俺、片手が動かなくなったりしててヤバかった。

高橋 そういえば、そんな症状あったな。サックスのストラップで神経が圧迫されて手が動かないとか。でも、それエビとは関係なくね?

岡島 エビの毒が当たったんじゃない?(笑)

高橋 「手がしびれたんでエビを冷蔵庫に入れられない!」とはなんないでしょ?(笑)

──この話は大好きなんですよ。バンド以前の状況からすでに思い出野郎だった、みたいな状況を感じます。よくいえば「マグマ」?

高橋 本当にぐちゃぐちゃでしたね。

──この3人は思い出野郎のなかでも古株というか、一番最初から知ってるわけで、この機会に聞いておきたいのは、バンドが本気になっていったタイミングでの決断について、ですね。

高橋 明確に「本気」っていうふうになったのはFUJIROCKの〈ROOKIE A GO-GO〉(2012年)に出てからだと思うんですけど。

──応募したら通ってしまったという話でしたね。あれが最初のステップというか、フックアップだったわけですもんね。本当はあそこから一気にいっててもよかった。いかなかったけど(笑)。

高橋 それ以前は、「ここで本気になった!」って感じでもないんですよ。最初は、みんな美大で自分の作品とかを作ってた時期だったから、バンドのデモとかもクオリティにこだわってたというか。「これはかっこいい」「ここはこうしたい」というのはありましたね。「遊びで」とか「ノリの延長で」とは言ってても、だからと言って別に適当にやるということでもなかった。

増田 でも、なんか俺、マコイチさんの代が卒業するくらいにライヴをやったときの打ち上げで、まあまあ酔っ払ったマコイチさんが「このバンドは卒業してもやりそうな気がする」って言ってて、「そうか、やるのか」って思った記憶があります。橋本のハワイアン・バーだったかな?

高橋 言った気がする。遊びだし、ド下手なんですけど、それまでにやってたバンドとは違う感覚があったんですよ。「あれ? 意外とフィットしてるし、いいかも」みたいな。ライヴでも下手くそなのに、なんかお客さんに受けるというか、見てる方も「いいじゃん」ってなるなにかがあったというか。

増田 喜んでくれる人が多かった。

高橋 たかだかサークル内の企画ライヴだったりするんですけどね。

──規模は小さくても手応えの違いってわかりますよ。

高橋 みんなでパッと音を鳴らしたときのしっくり感というか。テクニックがないわりには、ハマるときはハマるし、かたちになる。その手応えは最初からありましたね。ある意味、はたから見たらめちゃくちゃでも、本人たちは最初からずっと本気だったというヤバさというか。

岡島 ずっとおなじテンションでやってはいるよね。

高橋 「あ、本気だったんか!?」って思われるという。それが外部からのいろんなリアクションで、ようやく今証明されて、報われてきてる。斎藤くんが学生時代にフィールドレコーディングとかやってたのも、ずっと本気なんですよ。

岡島 スネアにビー玉転がした音を聴かせるライヴとかね(笑)

高橋 周りからは「これはネタでしょ?」って思われがちなんだけど、ネタじゃないし本気だっていう。

岡島 なにか作るんだったら、たくさんの人に聴いてもらえたらいいなと今は思うけど、最初は本当にそういうのなんにもなかった。「俺ら、アウトサイダーアートになってくんじゃないか」って本気で言ってたもん(笑)

高橋 音源とかも、ソウルのレコードとかを聴いて本気で「これ作りたい!」と思って作り出すヤバさというか。「作れる」からやるんじゃなくて、「作りたい」なんですよ。

岡島 バンド的にはすごくみんなポジティヴなんですよ。初期のころから、対バンに結構すごいメンツがいても「自分らが一番かっこいい」ってずっと思ってました。

高橋 え? 大丈夫、そんなこと言って? 俺はそんなことは思ってないよ(笑)

増田 めちゃくちゃ思い上がってますね(笑)

岡島 じゃ、ここはカットで(汗)。とにかく、いい意味でポジティヴだったんで。

──思い出野郎って、誰かが旗振り役になって「ついてこいや!」って言ってる感じでもないんですよね。フロントマンがマコイチくんではあるけど、結構バンドみんなが頭おかしい(笑)

高橋 僕はどっちかと言うと人見知りなんで、こもって作品とか作ってたいタイプなんですよ。対外的な営業とかは、むしろ源ちゃんとかですよね。タッツ(現カクバリズムのディレクター、仲原達彦)と知り合った流れも、オカジや源ちゃんがタッツがやってた〈月刊ウォンブ!〉(2013年1月〜12月、渋谷WOMB)に遊びに行ってたりしてたからだから。パーティーに遊びに行ったりするコミュニケーション部隊みたいなのがバンドにいる。

岡島 (増田を指し)ツイッター部隊。

──ね。ツイッター界のスターですからね。ツイッターがある時代でよかった(笑)

増田 ツイッターあってよかったす。

岡島 時代に合ってた(笑)

高橋 バランスのよさはありますよね。これが俺も含めて4人のバンドだったりしたら、そういうふうにはいかなかったかも。

岡島 このメンバーはそこでしっくりきたところはあるよね。

高橋 メンバーが多いゆえに、外に向く人と、内でぐっと作る人、場を和ませる人がそれぞれいて。でも、全体的に天然なヤバさはありますね。冷静に客観視して、「これはまだ俺らはできないでしょ」じゃなくて、長岡くんの部屋でレアグルーヴのレコード聴いて「これじゃん! これ作れるっしょ!」みたいに盛り上がっていきなりレコーディングとか自分たちなりにして、「感じ出ないなー」ってヘコむ(笑)。そもそも「やれると思ってたんかい!」ってことなんですけど、ちょっといい感じになると「やれてる、やれてる」って盛り上がっちゃうんですよ。カセットで録った4チャンの超音わるい音源を斎藤くんとかが「これ、7インチでカットしたら超かっこいいよ」って言うとかね(笑)

──そういうのって、部屋とか部室では起こることじゃないですか。徹夜明けの朝とか(笑)。でも、それを本気でそのまま出していけるっていうのが、思い出野郎のよさなんですよね。

高橋 適度にそこをタッツとか外部の人とかが軌道修正しつつ整えてくれるというのが最近ですね。パッケージング。

増田 そういえば、初期は確かに「あの感じが出ない」とか「出てる」とかそんな話ばっかだったのが、だんだん最近は「それって(聴く人は)わかるのかな?」って感じになってきてる。

高橋 そういうワードが出てくるようにはなってきてるよね。今回の『楽しく暮らそう』のジャケットも、最初に何パターンも候補があったんですけど、僕らのなかではもうどれがいいのかわかんなくなっちゃってて。それを角張さんとかいろんな人に見てもらったら、みんな「これでしょ」って、結局ジャケに決まったデザインを選んだんですよ。やっぱり僕らだけでこもってやってるとそこがわかんなくて、ズレていっちゃう。〈ROOKIE A GO-GO〉以降のやり方とかでも、僕らにもうちょっと冷静に第三者的な視点を取り入れる意識があれば、もっと進み方は早かったのかも。

──でも、今回の『楽しく暮らそう』を聴いても、今は音に関するジャッジは自分たちでもそこを踏まえてできるようになったという手応えはありますよね。

高橋 そうですね。自分たちでやりつつ、対外的な落とし所を周りと相談しながらやっていけてる。僕らだけでアルバムを自主で作ると、もっとぐちゃぐちゃになるというか。「音をもっとわるくしよう」とか(笑)。でも、そういう面もあっていいとは思うんで、どう落とし込むか、ですよね。

──曲のネタはマニアックなところから拾ってきてたりするんだけど、聴いてる側の人たちは「そっち(マニアック)にいって、俺らも掘ろう」とはなんないんですよ。むしろ思い出野郎のことがもっと好きになる、というのが、90年代とか2000年代にこういうレアグルーヴとかファンクやってた人たちとはちょっと変わってきてる気はするんです。昔は、もっとネタのほうがバンドより前に出てきちゃったりしてた。

岡島 そうですね。サンプリング全盛だったし。

高橋 ネタ先行で受け止められて売れちゃう曲って、最近でもありますからね。

岡島 サンプリング的にしっかりやったのをうまくバンドの音でやる、というスタイルも、僕らにはそんなにハマんないんですよ。

高橋 俺らは、曲の具体的なフレーズをやりたいんじゃなくて、その曲をかけたときのフロアの雰囲気みたいなのを再現したいのかな。

──だから、マニアックなネタが隠れてるのかもしれないけど、やってるバンドの人柄が勝っちゃうんですよ。変な逆転現象というか、思い出野郎がアシッドジャズ化しないところでもある。

高橋 あと、結構こだわりがみんな強いから、曲のジャッジに時間がかかる。AメロからBメロにいくブリッジだけで何日もかかったり。その「なんか違う」みたいなこだわりが、バンド内にそれぞれあって。知識もテクもすごいバンドの音源とかを聴いてると、それが逆になってるときがあるんですよ。コードとか、リズムとか、メロディとかはちゃんとソウルの曲としてやれてるんですけど、細部のリフとかが抜群にJ-POPっぽかったりすると、俺は「これは、こうやらないでしょ」って思っちゃう。シカゴ・ソウルとかでサビにいくときにドラムがダタタタカバッシーン!って派手にやってると違うと思うのと一緒です。「そこはベタにダダン、ダダンっておさめるのがシカゴ・ソウルじゃないの?」って思う。昔のカントリー・シンガーの生涯を描いた映画で、ベッドサイドのウィスキーをつかんだときにラベルのバーコードが映っちゃってる、みたいな、そういう感覚になるんですよ。そのバーコードを消すことに俺はこだわります。時代考証としての正確さだけじゃなく、曲として、このリフで「盛り上がる/盛り上げなくていい」みたいなジャッジに時間をかけるというか。

──でも、そこで大事なのはシカゴ・ソウルの忠実にやったから偉いってことじゃなく、そこが気持ちいいかどうかってことですよね。

岡島 逆のパターンもありますからね。古いスタイルに新しい要素を持ってこようとか。

──今回でいうと「サマーカセット」とか、メロウソウル+レゲエというか、なにふうとも言えないけど、思い出野郎の曲でしかないですよね。そういう不思議なバンド・マジックを感じます。

高橋 不思議なバランスというか。なんか言語化できないけどバンドでGOが出せるところまで詰めるハードルがあって、そこを超えてないといつまで経っても完成しないですね。突き詰めていって、あるタイミングでようやく「いいんじゃない?」って思えてくる。

──そこもまた9年間の関係で熟成されたものなんですかね。

高橋 単純にいうと、そのこだわりのせいであんまり売れずにきたのかも(笑)。そこを衒いなくやれる人がスターになるんじゃないかな。結局、俺らのこだわりは、『夜のすべて』のLPでも〈NICE RECORD〉ステッカーみたいなのをやりたがるところで(笑)

──あれは最高ですけどね。元ネタの〈NICE PRICE〉ステッカーって、安売りの意味だから(笑)

岡島 そのうち、あのステッカーの下に〈NICE PRICE〉貼られてたらヤバいよね(笑)

──たしかに(笑)。じゃあ、また次のおふたりをお呼びしましょう。

Part.3 高橋一(Vo,Tp) × 斎藤録音(Gt) × 宮本直明(Key)

──次のコンビは斎藤くん、宮本くん。

高橋 「ナインティーン」のコンビですか。

──この2人がやってるユニットですね。カセットも出してる。つねづね思ってたんですけど、この2人って「仲が良いからナインティーンってユニットをやってる」という理解で、いいんですか?

宮本 仲良い……、かな?

斎藤 大学に入って、ジャズ研で初めて出会ったのが(宮本)直明さんだったんですよ。

高橋 そもそも、斎藤くんは僕より年齢は一個上なんですけど、僕が大学4年のときに1年生として入ってきた。大学の学年としては長岡くんや源ちゃんと一緒で、バンドのなかでは一番下なんです。でも、見た目も若々しかったから、ぜんぜん年下だと思ってましたね。かたや直明さんは、休学してたんでしたっけ?

宮本 休学と留年を繰り返してた(笑)。大学3年目で復学したときに、もともとジャズも好きだったんで「どうせだったらジャズやってみたいな」と思って。だから3年目で部活には入ったんです。

高橋 それまでは、お笑いサークルとかバドミントンサークルにいたんでしたっけ?

──お笑いサークルにいたの?

宮本 いました。

斎藤 漫才コンビとかやってたんだよね。

宮本 それはジャズ研にいたときと同時進行でしたね。

──それも謎な経歴ですね。

高橋 とにかく、直明さんは俺らより前から多摩美にいたので年齢的には最年長なんですが、留年や休学で俺らより下の学年にいたんです。

斎藤 ややこしいよね(笑)

高橋 斎藤くんもややこしいけど(笑)

──そんな2人がジャズ研で出会った。

斎藤 それで「バンドやろうぜ」と。

宮本 ジャズ研で、「バンドお見合い」みたいなのがあったんですよ。納涼祭っていうのが毎年学内であるから、新入生はそのためにバンドを結成するっていうことだったんです。

高橋 ジャズ研っていっても、ただ入っただけじゃほっとくと結構みんなバンドを組めなかったりするんで、1か所に集めて「このなかでバンド組んで」って言って、かたちになった新入生のバンドが納涼祭に出るんです。

宮本 それで斎藤と「なんかやろうぜ」と。

斎藤 あと女の子のメンバーが2人いて、その4人でナインティーンになりました。

高橋 その年に入った新入生のなかでも、一番ジャズ研には入らないであろうタイプのめちゃめちゃきれいなロングヘアの女の子でしたね。俺らも「あの子、超かわいいじゃん。誰と組むんだろう?」って言ってたら、こいつらだったという(笑)。ぼんくらみたいな2人とあの子がいて、「なに、あのバンド?」ってなってましたね。

宮本 でも、結局その納涼祭のライヴには俺らは出れなかったんですよ(笑)。あまりに俺らはぼんくらな感じだったから。

高橋 斎藤くん、そのときドラムやってたよね?

斎藤 ドラムでしたね。でも、持ち曲が『オールナイトニッポン』のテーマ曲しかなかった。

高橋 「ビタースウィート・サンバ」ね。持ち曲っていうかさ、なぜあれを、やろうと思うのかな?(笑)

斎藤 それとポリスのカヴァーで「ソー・ロンリー」(笑)。その2曲だけでやろうとしてたんだけど、納涼祭には出られなかった。

宮本 初ライヴは、芸祭(秋の多摩美芸術祭)だったんじゃない? 山さんも巻き込んで無理矢理やってもらった。

高橋 ああ、なんか、その2曲やったあと「どうしようか? もう持ち曲がない」ってなってた。

斎藤 そう、それで、そのとき2人が一番好きだったH Jungle with Tの「WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーヴメント」をカラオケで流して「とりあえず歌おうぜ」って。

高橋 でも、それが一番盛り上がったんだよね(笑)

斎藤 そのあとくらいから、「ナインティーン、こういう方向でもよくね?」みたいな感じになっていった。

高橋 だから、今のナインティーンとはぜんぜん違うよね。

──いや、ぜんぜん違うなりに、なんか今に続くものが始まってる気がするエピソードですけど(笑)

高橋 トランペットのかわいい女の子いたよね? その子と、あのすっごいかわいい子がベース弾いてて、そこにこのおじさん2人がいて。

──ジャズ研のなかでも時空をゆがめる存在だったんですね。年上なのに下級生だし、ぼんくらな感じなのにかわいい子とわけわかんないバンドやってるし。

斎藤 めちゃ浮いてましたね。

高橋 直明さんはピアノでインプロとかフリージャズも好きで、みたいなキャラで。でもお笑いもやってて。「出た! 美大のちょっと変わった人!」って感じでしたね。斎藤くんは「ドラムもやりたいです」みたいなこと言ってるし(笑)

──斎藤くんは、フィールド・レコーディングもやってたんですよね?

斎藤 それも1年生のときぐらいから始めて、初ライヴはフィールド・レコーディングをパソコンで流しながら、スネアの上でビー玉を転がす、というものでした(笑)

高橋 それで「斎藤録音」って言われるようになったんだもんね。

──そんなキワキワな2人が、どうやって思い出野郎に入っていったのか、ここまでのエピソードではぜんぜん想像つかないんですけど。

高橋 どうだったんだっけ?

宮本 当時、僕は長岡くんとピアノ・トリオみたいなことをやったりはしてましたね。同級生とも他にバンドやってたし。でも、1、2こ上の代にマコちゃんとかのバンドがあって、ファンクをやってたんですよ。僕はそれまでジャズはやってたけど、ファンクとか興味なかったんですよ。でも、「ファンクってめちゃめちゃいいな」って思うようになって。そしたら、「新しくファンク・バンドをやるから」って誘われて、僕は鍵盤で、斎藤はギターで入ることになったんです。

斎藤 それ以外のバンドで、僕もギターをちょろちょろやり始めていて。それを見たみんなが「あれ? 斎藤ってギター弾けんじゃん!」ってなったみたいで。

高橋 「ギターは斎藤でいっか」ってなったんです。でも、本当にやり始めたばっかでしたね。

斎藤 そう。マコイチくんのダンエレクトロを借りてやってた。

高橋 そこから、思い出野郎の初期話としてさんざん話してる、JBのリフを斎藤くんが延々と弾かされ続けたセッションとかにつながっていくんです。

斎藤 それが1年の夏休みだったかな。

高橋 その前くらいから、だんだんみんな仲良くなってったんですよ。長岡くん家が広かったから、結構集まって飲むようになって。

斎藤 そこではレコードの話をしてたんです。「あの再発聴いた?」みたいな。

宮本 レアグルーヴの再評価とかもあったころだったね。

高橋 長岡くんの家の近くにあったサンクチュアリってバーに、みんなでやたら行くようになるんですよ。マスターがすごくソウルが好きで、フリーソウルのシリーズを全部持ってたり、買ったCDかけてもらったりして、そこでみんな溜まって飲んでた。それが、結成前後くらいの記憶ですね。そういうのが高まってバンドやったというか。

斎藤 とにかくよく一緒に飲んでたよね。飲んでたから(思い出野郎に)誘われた、というのもある。

──だって、最初は2人ともそれほどソウルやファンク好きでもなかったわけでしょ?

宮本 最初はそうでもなかったですね。

斎藤 ただレアグルーヴの再発盤とかの話をしてるうちに、その辺がめちゃめちゃおもしろいし音楽的にもすごく好きだって感じに僕もなっていって、いろいろ聴くようになりました。

高橋 それ以外の音楽の話もよくしてたよね。ナンバーガールとかも好きだったでしょ?

斎藤 岡島くんとはずっとアーサー・ラッセルの話とかしてたし。

高橋 一時期2人は「ヨールー・ラッセル」ってユニットを組んでたしね。

斎藤 めちゃめちゃなユニット名(笑)。でも、ひらのりょうくんの作品の音楽を一回やったりしたんですよ。

──どんなバンドでも、一番最初の話はおもしろいものだけど、この2人はやっぱりおもしろいですね。

斎藤 でも、みんなで曲のこととか話し合ってるときに噛み合わない筆頭が、この2人(斎藤と宮本)かな(笑)

宮本 根幹を揺るがそうとするから(笑)

高橋 わかりやすく言うと、サビの話をしてるのにAメロのアイデアとか言い出すんですよ(笑)。「さっきのAメロ、こうじゃなかったっけ?」「いや、今サビの話してるんだからちょっと待って」みたいな。 でも、結局、コード系の楽器の話はこの2人が一番大事なんで。

斎藤 ファースト・アルバム以前は、僕もギターのことがぜんぜんわかんないから結構、感覚で作っちゃってて。それでも、なんか進んでたよね。「なんで曲になってるんだろう?」みたいな。

高橋 思い出野郎の初期に、デ・ラ・ソウルのCDを橋本図書館で借りたとか言ってさ、「アイ・ノウ」でサンプリングされてるマッド・ラッズのネタのギターのフレーズを弾いたよね。

斎藤 あれを弾けるようになったから、カヴァーやりたいって思って聴かせたら、そこから曲ができていって、オリジナル曲になっちゃって。

高橋 それが、「TIME IS OVER」になったんですよ。それまではずっと思い出野郎の曲はワンコード、ツーコードのファンクで、メロウなことができたのがあの曲が最初だったし。そういう、いきなりぶっこむようなことが斎藤くんはできる。

──でも、本人はいたって無邪気に、「弾けるようになったから聴いてよ」くらいの感じで(笑)

斎藤 歌ものも、あれが最初だったんじゃない? 歌が入るってこと自体、最初は想定してなかった。部室でマコイチくんが歌ったら「めちゃくちゃいいね」ってなった。

──でも、今は、とりあえず傍目にはプロっぽくなってるというか、アルバムも2枚と今回ミニアルバムも出してるわけだし。そこからはずいぶん経ちましたよね。

斎藤 ちゃんとしなきゃ(笑)

宮本 もうちょっといろいろ覚えよう、とか思いますね。

高橋 でも、まあ全体的にみんな昔に比べたら、はるかにうまくなったんですよ。今回はクリックに合わせずに生で演奏しようという意志があったけど、昔はそもそもクリックに合わせられてなかった。でも、クリックがないと本当にテンポも変わっちゃってたから、そこをちゃんとやろうとして、ファースト、セカンドとクリックに取り組んで。それができるようになったから、今回は逆に外せたんですよ。なくても、そんなに走ったり遅れたりしないから、そこは「いい揺らぎ」として残しとこうと。そういう意味では底力はついたよね。

斎藤 積み上げてはいる気がする。

高橋 直明さんは最近ジャズをちゃんと習いに行き始めてるし。

宮本 今さらですけどね。もともと手探りでやってたから。

斎藤 僕も最近、ギターのレッスンに行き始めたんですよ。知らないコードとかをちょっと覚えようと思って(笑)

高橋 30ウン歳でのチャレンジですけど。

──アルバム2枚も出してるバンドのギタリストが、ギターの勉強したいっていうのも不思議ですけど(笑)。でも、斎藤くんギター・ソロとかもすごく弾くようになってきてるし。

斎藤 だんだん弾けるようになってきてるんで。

高橋 いや、どんどんよくなってきてるし。

斎藤 でも、人生のなかで10年も続けてることなんて、バンド以外は本当になくなってきたから。10年積み上がってる感じは若干あるし、毎日ギターは触るようにしてる。でもそれ、当たり前か(笑)

──10年やって成長しなくなるより、ぜんぜんいいことじゃないですか。まだのびしろがぜんぜんある。全国いろんなところにも行けるようになったし。台湾でライヴやって、しかもファンがすごくいるとかも、バンドを続けてきたからこその賜物でしょ。

宮本 憧れの人と対バンできるようになったり、それはすごく身が引き締まることでもありますしね。

高橋 カクバリズムに所属してるということもそうだし、海外なんて想像もしてなかったですからね。

宮本 (思い出野郎は)わりとみんな音楽性が結構ばらばらなんだけど、ソウルとかファンクという枷があるというか、ジャンルを決めていることで逆に自由になってる感じはありますね。

高橋 昔はバンド感を統一するために「ソウル」って言ってきたけど、ある程度固まってきたから、逆にこれからはまた違うそれぞれの要素をうまいバランスで盛り込んでいけるのかな、みたいな予感はあるんですよ。それをうまいことバンドとして落とし込みながら、かたやバキッとパーティー・チューンも進化させながら。その2つをやっていけたらいいんだけど、どうなのかな。直明さんがジャズを習ってるから、ジャズになるのかもしれない。

斎藤 あとは、「みんなで作る」というやり方に、だんだん慣れてきてるというのもあって。ファーストの前って、本当に1曲作るのにすごく時間がかかってたんですよ。毎回練っては潰して、みたいなことを繰り返して。今はもうちょっとみんな効率的なやり方がわかってきた。デモを作ったりとか。

高橋 パソコンも導入したしね。ロジックとかね、昔じゃ考えられないよね。ツアー車のなかでブルートゥース・スピーカーでみんなで音源聴いたり、楽屋でデモ録ったりとか。

──そういう今や当たり前のテクノロジーもあとから学んでるというのが逆におもしろいのかも。

高橋 サカナクションの千分の一くらいのテクノロジーですけどね(笑)

──今後、ナインティーン方面からも新たなアウトプットがこないとも限らない。

斎藤 やりたいことはいっぱいあるんでね。

高橋 この2人が一番複雑なんで。

宮本 なんか俺、結構好きなものに対して矛盾を抱えてるというか。ジャズ習ってるのにドゥーワップをやりたいと思ったりとか。

高橋 ドゥーワップの曲作るしかない。

宮本 思い出野郎でもできるかな?

斎藤 確かにコーラスがめちゃめちゃ多くなってきてるから。演奏しながら歌うのが大変だけど。

──宮本作曲の思い出野郎版ドゥーワップ、期待してます! では、最後のかたをお呼びしましょう。

Part.4 Part4 高橋一(Vo,Tp) × 山入端祥太(Tb) × 松下源(Per)

──最後は山入端くん。オリジナル・メンバーであり、去年復帰したという。ぐるっと回って、もう一回、源ちゃんにも入ってもらいました。で、僕の個人的な話になりますが、山入端くんとは、思い出野郎と関わりがあると知る以前に別の現場で出会っていて。それがなんと「コミティア」で、ツイッターのハンドルネームが「物干竿之介」という名前だったんですよ。

山入端 こまごまと漫画やらなにやら描いていて、それでコミティアに出てたんです。とにかくカクバリズム界隈がすごく好きだったから。

──僕は「ライヴでもよく会う人」という認識でしたね。

高橋 カクバリズムのこと、一番好きでしょ?(笑)

山入端 うん。だって、タッツとの出会いも、彼がやってた日芸のプチロックフェスだもん。2012年とか、かな。本(秀康)さんのTシャツ目当てで行ったんだけど。

松下 山さんは、サブカルの一番中心部にいるよね。

山入端 そう。やな感じだよね(笑)

高橋 もともと大学時代も本さんの『ワイルドマウンテン』とかは山さんが買って集めてて、それをみんなで読んだりしてたんだよね。それで当時、「ワイルドマウンテン」って曲も作ったし。

──でも僕は思い出野郎とのつながりはぜんぜん知らなかったんです。思い出野郎にインタビューしたときに、「もともと山さんってオリジナル・メンバーがいて失踪した」というエピソードを聞いてはいたけど、その「山さん」がまさか、この「山さん」だったとは。

高橋 もともと、山さんと俺と岡島は多摩美の同級生なんですよ。

山入端 岡島は予備校から一緒なんで、10代から知ってる。

高橋 山さんが最初にいなくなったの、いつだろう?

山入端 大学2年くらい?

松下 俺、山さんと(在籍が)被ってないから。その失踪の詳細知らないんだよね。「最初」って言ってたけど、何回か失踪したの?

山入端 2回かな。

松下 2回してんだ(笑)

高橋 1回目はまだ学生時代で、思い出野郎は、もうやってたかな? 覚えてないな。でも、やってなかったと思う! 山さんが戻ってきて、爆上げの状態で飲みまくってるなかで思い出野郎を結成したんだ。

山入端 そっか。

松下 (失踪で)ぐわーっと下がって、戻ってきてぐわーっと上がって、また失踪(笑)

山入端 俺もあのころの記憶、もうないんだよ。

高橋 山さんが失踪したときのこと、俺もあんま覚えてないんだよね。「最近、連絡つかなくない?」みたいになって、それが失踪だったんだ(笑)。で、「えー? 山さん、いなくなった、どうしよう?」ってなってから、「じゃあ、パーカッション入れよう」となって源ちゃんが登場する。

──そうそう。そういう流れの話だった。

高橋 トロンボーンがいなくなったのに、ホーンを足さずにパーカッションを入れたんですよ。

山入端 普通は管を入れるところを、リズムを強化したんだ。

高橋 わけわかんないよね。

──源ちゃんは山入端くんとは面識はなかった?

松下 いや、思い出野郎のライヴは見にいってたから、面識はありましたね。ただ、そんなに話したりはしてない。(山入端に向かって)最近だもんね、話すようになったの。

山入端 そう、最近(笑)

松下 ワハハハハハ。

高橋 それで、山さんいなくなって、源ちゃん入って、ちょくちょくライヴするようになって……、あれは震災前だったかな。源ちゃんの当時住んでたアパートにみんなで集まってたんですよ。そこに、俺らの共通の友達のハッシーっていうお調子者が、「みんなに今日会わせたいやつがいるよ」とか言って、山入端くんを連れていきなり現れたんですよ。「うわ! 山さん、戻ってきた!」ってみんなびっくりして(笑)。本当にそれまで音信不通だったから。

山入端 そうだった、そうだった。

高橋 それで一気に盛り上がって、サンクチュアリにみんなで飲みにいったら、岡島くんが「俺もみんなに話したいことがある」って言い出して。「子供ができたんだ」って(笑)。その話題に全部持ってかれて、山さんの失踪はなかったことになりました(笑)

松下 かすんだね(笑)

山入端 なんかね、みんなそういう心が広いところがある。

──でも、そこからすぐにバンド復帰ということにはならなかったんですよね。去年まで、結構な時間が経ってるし。

高橋 そのころ、岡島も結婚して、俺と住んでた部屋も引き払うし、みんな卒業して多摩美周辺を離れて東京に行き、仕事も始めるというタイミングで、この先バンドとしてどうやっていくのかを考える転換期でもあったんですよ。山さんもバンドに戻るって感じでもなかったんで、そのまま「よくライヴに来てくれる昔の友達」みたいな感じに自然となっていったのかな。

山入端 普通にライヴがあれば遊びに行ってたしね。最初の〈SOUL PICNIC〉って、自分で作ったものをなにか持っていけばチャージが500円になるってシステムだったんで、自分で作ったフリーペーパーとか持っていきましたね。

──そういう関係で落ち着いていたのが、ゲスト的に復帰することになったのが、去年『夜のすべて』を出したあとの〈SOUL PICNIC〉(2017年8月12日、江ノ島OPPA-LA)でしたっけ?

高橋 シングル「ダンスに間に合う」の7インチ・リリパ(2017年7月2日、表参道Wall & Wall)にも山さんは来てたけど、そこではまだその話はなかったんだよね。でも、あの日にアルバムに入れる予定の曲をライヴでやってみたら、なんかあんまりうまくできなくて。それで、打ち上げで「ちょっとヘルプやってほしい」って話をした。

──思い出した。その打ち上げ、僕もいましたね。夜中の青山で、店が開いてなくて、めちゃくちゃ歩き回った。打ち上げの店で、奥のテーブルで2人(高橋と山入端)が話し込んでたのを覚えてますよ。

山入端 後日、マコイチから連絡あって、「久しぶりに飲もうよ」って誘われて、新宿でサシで飲んだんですよ。そしたら、「そろそろ、どう?」って(笑)。「ぜんぜん無理しない感じでいいから、スタジオで練習してるから、ちょっと遊びにきたらいいじゃん」って言ってくれて。でも、僕はそのころまったくトロンボーンを吹いてなかったんで、不安がありつつも、とりあえずスタジオに行ったんです。そしたらもうみんな揃ってて、見るだけのつもりだったんですけど、「せっかく楽器持ってきたんだから、吹いてみれば?」って。

松下 そのあとがOPPA-LAだったよね。

高橋 結構すぐだった。

松下 でも、やっぱり(山入端は)もともとトロンボーンやってたから、すぐ勘が戻ってきてたし、すっとなんの違和感もなくなじんだよね。

──レパートリーは自分がいなくなってからの曲がほとんどだけど、ライヴは何度も見てたわけですもんね。

山入端 そうなんですよ。だから、最初からめちゃめちゃ歌えたし。

高橋 そこからは、コード表とかデモとか山さんにわーっと送りましたね。山さんもカラオケボックスとかでめちゃめちゃ練習してた。

──とはいえ、最初のうちはサポートというか、場所を限定したゲストみたいな感じでしたよね。

山入端 そうそう。都内中心で、みたいな感じだった。

高橋 WWWのワンマン(2017年10月1日)でも、がっつり山さんにやってもらって、それを見たタッツや角張さん、VIDEOさんとかも「8人編成、いいんじゃない?」みたいなモードになっていったんですよ。バンドの状況も山さんは知ってるし、クオリティ的にもいてくれたほうがいい。そういうことで、正式メンバーとして再加入してもらいました。

山入端 僕はそもそもカクバリズムに思い出野郎が移籍したことがめちゃくちゃうれしかったから、7インチのレコ発のときも「絶対行こう!」と思って、現場でもめっちゃ楽しんでたし、バンドに戻るなんてぜんぜん思わず、そのまま応援していこうみたいな気持ちのほうが強かったかな。

高橋 いいやつ!

──バンドの結成メンバーが最大のファンになり、そしてまたバンドに戻るって、いい話としか言いようがない。

高橋 それもオデッセイですね。山入端オデッセイ(笑)

松下 ワハハハハハ。

山入端 普通、一回抜けたバンドで「また戻ってきなよ」って言うやつらもあんまりいないと思うし。

高橋 でも、その抜け方もケンカ別れでもないし、ただいなくなっただけでしたからね。

松下 それで今回「去った!」書いたんじゃない?(笑)

高橋 それ、遅くない? その曲、5年前に書いてないと(笑)

──実際、山入端くんが戻ってきたことで、フロントが2人になって見栄えも変わったし、ホーンもコーラスも厚くなりましたよね。

高橋 2管だと厚みがばっちり出ますよね。

松下 あと、山さんはなんかすげえ母性的というか。 男8人だけでずっといるとだんだん山さんが女性的に見えてきて(笑)

──男子校的な(笑)

高橋 フェミニンな感じがあるからね(笑)

山入端 だんだんそこがバレつつあるのかも(笑)

仲原 僕からしたら(山入端は)頼れるんですよ。今までの思い出野郎にはいなかったタイプ。なので今では、バンド連絡の窓口が山さんなんです。

山入端 いや、俺以外に7人もいて、みんなそんなにダメなやつじゃないと思ってたんだけど、やっぱりみんなダメだった(笑)

高橋 (山入端は)几帳面だしね、写真もマメに撮ってたり、記録をちゃんと残すよね。

山入端 マコイチは俺にあんまり負担がかかるとまた逃げちゃうかもしれないから、「大丈夫?」とか気使ってくれてて。でも、今はもうぜんぜん大丈夫だから。

高橋 いや、それ(失踪の)前振りにしか聞こえないけど(笑)

──たしかに(笑)

高橋 山さん、次に失踪したくなったら、なるべく遠くに行ってもらえるかな。そしたら、それを探す長いツアーに出るから(笑)

仲原 どこにいるかわからないけど、ライヴ写真だけは送られてくる、とかね。

高橋 それを見て「会場には来てたんだ!」って俺らが驚くという。

山入端 それ、めっちゃめんどくさいやつじゃん(笑)

高橋 それで、「もうダメだ!」ってときに、トロンボーンの音が聴こえて登場、みたいな。

松下 ワハハハハハ。

高橋 それがツアー・ファイナルで。

松下 次、それだ。

高橋 またそこでオカジが「子供生まれました」って告白したりして(笑)。

──それでまた失踪がなかったことになる(笑)。まあ、最後に『楽しく暮らそう』の話をもう一度しますけど、この8人になってから初めて録った作品でもあるし、山さんにも深い感慨もあっただろうなと。トロンボーン・ソロもフィーチャーされているし。

高橋 山さんのトロンボーンもコーラスも全曲がっつり入ってますから。

山入端 思い出野郎でちゃんと録音するのも僕は初めてだったし、それも含めて結構感慨深いというか。

高橋 バンドで録った音源一発目がカクバリズムでしょ。なんかその人生、いいな。

松下 おいしいところだけ持っていきやがって、みたいな(笑)

山入端 ぜんぜん苦労してないよね。

松下 いや……でも、山さんが一番苦労したと思いますよ(しみじみ)。

全員 (爆笑)

高橋 そうだね! 人生的にはね。山入端オデッセイだからね(笑)。そういえば、こないだ熊本にライヴで行ったとき、打ち上げでテキーラ乾杯しまくってたら、山さん豹変してすごかった。

山入端 「リミッター外しちゃおう」とか言って飲んでたら、もうぜんぜん覚えてなくて。なんか長岡のことをめちゃめちゃ絶叫して呼んでたらしい(笑)

松下 じつは一番酒癖わるいのは山さんかもね。

山入端 タッツにも「やっぱ、山さんも思い出野郎なんだ。結局ヤベェのしかいねえじゃん」って言われた(笑)

──そんな8人が揃って、来年が10周年で、もう楽しみしかない気がする。

山入端 「またやろうよ」って言ってくれて、うれしかった。

高橋 そしてバンドに戻って、無職にもなって。

松下 山入端オデッセイは、まだ始まったばかりだから(笑)

──いいっすね。それでこのリレー対談もめでたく終了ってことで(笑)

山入端 どういう終わり方なんだ!(笑)

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CREDIT
思い出野郎Aチーム / OYAT
Makoto Takahashi (Vocal, Trumpet) / Rokuon Saito (Guitar, Chorus) / Tomoaki Nagaoka (Bass, Chorus) /
Yoshiki Okajima (Drums) / Hajime Matsushita (Percussion, Chorus) / Naoaki Miyamoto (Electric Piano, Chorus) /
Kaoru Masuda (Sax, Chorus) / Shota Yamanoha (Trombone, Chorus)
Lyrics by Makoto Takahashi
Music by OYAT
Produced by OYAT / Directed by Tatsuhiko Nakahara / Recorded and Mixed by Akiyoshi Tanaka at Studio Greenbird,
ANDY'S STUDIO, Bigfish Sounds / Mastered by Dave Kutch at The Mastering Palace
Photography by Taro Hirano / Designed by Tatsuya Kunieda / Web Produced by VISUAL AND ECHO JAPAN
A&R Tatsuhiko Nakahara / Promotion Wataru Kakubari, Masaya Kobayashi, Rui Fujita,
Rika Hanzaki, Saki Miyaoku, Tsukushi Yanagisawa, Tatsuhiko Nakahara
Executive Producer Wataru Kakubari (KAKUBARHYTHM)