Interview Update! 2017.09.11

思い出野郎Aチーム セカンドアルバム 「夜のすべて」2017.8.23 リリース!

国籍も、性別も、言語も、
人種も、年収も、信仰も、
ダンスフロアでは関係ない。
不器用な男達のリアルとロマンが詰まった
全10曲入りセカンド・アルバム!!


ダンスに間に合う

MUSIC VIDEO


フラットなフロア

Sound Cloud


思い出野郎Aチーム セカンドアルバム 「夜のすべて」

品番: DDCK-1051  税抜価格: ¥2500+税
発売日: 2017.08.23  レーベル: カクバリズム

→ カクバリズムデリバリーで購入する
→ amazonで購入する

思い出野郎Aチーム / 夜のすべて

  • 01. ダンスに間に合う
  • 02. アホな友達
  • 03. 夜のすべて
  • 04. 生活リズム
  • 05. 早退
  • 06. フラットなフロア
  • 07. Magic Number
  • 08. 彼女のダンス
  • 09. 大切な朝
  • 10. 月曜日

夜のほんの少しのこと
(アルバム発売によせて)

スペインの詩人、フェデリコ・ガルシア・ロルカの詩に「僕らは共に黄金の服を着た」という有名な一節があります。
小説家、佐藤泰志の短編のタイトルの元にもなったこの言葉は人々が何か同じ事や希望、時間等を共有したことを表現した(勝手な僕の解釈ですが)一節です。
小さなクラブとかでレコードを聞きながら踊っていると、ごく稀に見知らぬ人とこの「共に黄金の服を着た」感覚になるときがあります。
それぞれが全く別のことを考えているし、好き勝手に踊っているだけなのに何かかけがえのないものを気づかないうちに皆で共有している。
誰もが物語性に富んだ人生を歩めるわけじゃないけど、主役も脇役も無いような平坦な日々を淡々と繰り返す中で大切に感じる、まるでミラーボールが飛ばす小さな光の粒に照らされた一瞬のようなほんの少しのこと。
そして各々のその「大切なほんの少しのこと」が夜のフロアで交差する瞬間の何とも言えない煌めき。
もう二度と会えないかもしれない人たちとのそんな一瞬のことを思い浮かべながら歌詞を書きました。
最初のアルバムが出てからの2年半くらいで世の中は一層余裕を失くしていくように思ええるし自分たちの生活もゆっくり変わってきましたが、この先も変わらず煌めく瞬間を、あるいは黄金の服を皆で着られる一夜を、さらに言ってしまえば「音楽」を、絶やさず過ごしていけるよう願いつつ皆で四苦八苦して作った今作、非常に大切な1枚になりました。
是非是非聴いてみてください。

高橋一(Vocal, Trumpet)


初回特典


ライブスケジュール

思い出野郎Aチーム「夜のすべて」リリース記念
ワンマンライブ
『THAT NIGHT』
10月1日(日)

会場 渋谷WWW
OPEN 18:00 / START 19:00
前売 3,000円 (ドリンク代別途要)

プレイガイド一般発売
8月26日 (土)
チケットぴあ(P:341-960) / e+ / ローチケ(L:75951)

プレオーダー
e+ 8/15 12:00 〜 8/20 23:59

思い出野郎Aチーム「夜のすべて」リリース記念ツアー
『THAT NIGHT TOUR』

12月9日(土)

会場 大阪 十三GABU
OPEN 19:00 / START 19:30
前売 3,000円 (ドリンク代別途要)

出演 思い出野郎Aチーム / VIDEOTAPEMUSIC

12月10日(日)

会場 愛知 名古屋Live & Lounge Vio
OPEN 18:00 / START 18:30
前売 3,000円 (ドリンク代別途要)

出演 思い出野郎Aチーム / VIDEOTAPEMUSIC


New!

オフィシャルインタビュー

 雨が降り出した日曜日の夜だった。路頭に迷った野郎どもがコンビニの前でたむろする。誰かが缶ビールを買いに行き、しびれを切らしたようにプルタブを弾いた。

 この日は、思い出野郎Aチームの7インチ・シングル「ダンスに間に合う」のリリース・パーティーだったのだ。カクバリズムからの第一弾リリースとして、アルバム『夜のすべて』に先行カットされた「ダンスに間に合う」は、あっという間に市場から姿を消していた。ヒットの予感、ライヴも満員、最高のソウル・ショーで、お客さんも上機嫌だった。それなのに今、打ち上げの場所がうまく見つからなくて、彼らはコンビニの前でうだうだとくだをまいている。

 でも、なんだろうな。この感じ、いやじゃない。シチュエーションとしてはダメダメなのに、彼らはこの空気の扱い方をよく知ってる。きっとこれまでいくつもくぐり抜けてきた夜のすべてが、アドレナリンもやるせなさもかきまぜた謎のアルコールになって、思い出野郎どもに作用する。

 「10分くらい歩いたところに、3時までやってる店が見つかったよ!」と誰かが言った。

 「よっしゃ行こう!」あやうく根を張り始めた重い腰をあげて、ぞろぞろと一団は動き出した。日曜の夜、午前3時に東京のど真ん中に放り出されて、彼らはいったいどうするんだろう? まあ、そんなことはどうでもいいか。「やっと酒が飲めるぞ」と快哉をあげながら歩く姿を見ながら、頭のなかで自然と「アホな友達」が流れ出した。

 思い出野郎Aチーム、約2年半ぶりのセカンド・アルバムにして、カクバリズム所属としての初アルバム『夜のすべて』。生活のリアル、音楽への思い、ダンスという救済、フロアにある天国と地獄、そんないろいろを詰め込みながら、ポップ・ソングとしてキュッとシェイプアップした傑作。大学時代からの腐れ縁をオリジナルなソウル・バンドに昇華させた彼らが、さらにひとつ上がったステップがこのアルバムにある。

 アルバム完成のタイミングで、高橋一、増田薫、斎藤録音の3人に話を聞いた。思い出野郎Aチームの昨日今日明日。まずは前編だけで10000字!

前編

2017.09.11
Update

オフィシャルインタビュー

──ファースト『WEEKEND SOUL BAND』リリース時(2015年2月)の取材で「ストックをほとんど使ったので、これから新曲が書けるかどうか」と言ってたんですよね。

高橋一 そうなんですよ! 今年の初めあたりまでにできた曲は3曲くらい。しかも1曲はライヴ用のインストだったんで、実質2曲くらいだったんです。だけど、年明けくらいから「もうセカンド・アルバム作らないとやばいよ!」って言われて、「じゃあ4月に録りましょう。アルバムは8月に出しましょう」というスケジュールだけ先に決まったんです。かろうじてアルバム・タイトルを『夜のすべて』にすることだけはなんとなく決めてました。

──ということは、曲もほとんどないなかで馬力で新作に取り掛かったんですね。

斎藤録音 やばかった……(笑)

高橋 新年の時点でアルバムに入れられそうな曲が3曲で、そこから7曲は結構怒涛で作りましたね。歌詞もその場で書いて、できたそばからデモを録って、みたいな。大変でした。

──そんな作り方、思い出野郎史上でも異例でしょ。

全員 異例です。

斎藤 そもそもスケジュール決めてやったことない。

高橋 セッションで時間かけて曲を作るタイプだったんですけど、まず今回は明確に目標を定めて「ポップなものにしよう」ということを言ってました。楽器のソロもそんなに多くなくて、ポップスとして整ってるものにしようという狙いがありました。曲作りの最後のほうで「大切な朝」や「月曜日」ができてきて、並び順としてそれを最後に置くと、夜で始まって朝を迎えて次の日が平日で仕事に行くまで、みたいな流れになんとなくなるかなと。そういう感じで全体が見えていきました。

──アルバムの予告編的にカクバリズム所属第一弾としてリリースされた7インチ「ダンスに間に合う」(2017年6月30日)は、あっという間に市場から消えた。

高橋 結構意外だったのは、最初にシングルで出すならバンド的には「夜のすべて」と言ってたんです。タッツくん(ディレクターの仲原達彦)は「アホな友達」を推してた。そしたら角張さんが『ダンスに間に合う』でいこうって意見で。そういう感覚は僕らにはあんまりなかったんです。「そういうセンスがカクバリズムなのかな」と思いましたね。

斎藤 みんな「まあ、これはシングルではないんじゃない?」みたいな感じだった。

高橋 7インチっていうと、僕らはもうDJ使いのことしか考えてないんですよ。だからダンスフロアでどう機能するかを考えて、一番ディスコっぽくてビートの強い曲を選びがちだけど、そうじゃない人もいるわけで。ちゃんと聴きたい人に向けたリスナー感覚は、「さすが角張さんだな」と思いました。きっと俺らが自主でやってたら「夜のすべて」を7インチで切ったのはいいけど結構余った、みたいなことになってたかも(笑)

斎藤 しかもB面にはゴリゴリのリミックスも入れて、みたいな(笑)

──確かに、「ダンスに間に合う」を聴いたときの第一印象は意外だったんですよ。マコイチくん(高橋)もシャウトしてないし。でもDJで使うと考えたら、まだ客がまばらな一曲目でもいいし、アフターアワーズでもいける。意外と汎用性があるし、バンドの魅力の再発見でもありました。

高橋 歌でがなってないのは、これをアルバムの一曲目にしようということがデモの段階で決まってたからなんですよ。ド頭だから、がならずにすっと入れるようにしようと。結果、それがシングルで出ちゃったんですけど。

──アルバム全体を通して聴いても、おこがましい言い方ですけど、思い出野郎の成長を感じるというか。日常の生活の中で日々感じていることとダンスフロアの非日常とをちゃんとつなぎとめながらちゃんと歌にしてる感覚が新作にはあるんです。そもそも、多摩美の同級生と後輩の集まりだったバンドが、どういう経緯で今に至ってるのかをあらためて話してもらっていいですか?

高橋 みんな多摩美のジャズ研なんです。僕と岡島はもうちょっとうまい人たちとバンドをやってたんですけど、大学4年生の頃にちょっとその活動が行き詰まってきてて、ぼくはもうちょっと息抜きしたい感じになってた。それで、「飲み友達を呼んで適当なバンドをやろう」というノリで始めたのが思い出野郎だったんです。初期メンバーでトロンボーンを吹いていたヤマノハくんに声をかけて、ひとつ学年下の増田にもサックスで入ってもらって、トロンボーンと2管でいいんじゃないと。岡島はまだ前のバンドでドラムを叩いてたんで、僕がドラムを叩きました。斎藤くんはそのときにギターを始めさせられたんですよ。部室に転がってたギターを渡されて(笑)

斎藤 「このリフ弾け!」みたいな。

──なかば強制的に(笑)。斎藤くんは、それまでは何やってたんですか?

斎藤 ドラムのスネアだけを叩くライヴとかやってました(笑)。あとはフィールド・レコーディングとか。それで自分で作品を作ろうとしてました。

高橋 美大をこじらせたようなイタイ感じのやつです(笑)

──だから、“斎藤録音”なんですね。

高橋 なんで「斎藤くんがギターだ」って、パッと決まったのかよく思い出せないんだけど。

増田薫 見た目じゃない?

斎藤 「見た目がギターぽいよね」って言われてたんですよ。他にあんまりやってる人もいなかったし。ギターは、まったく初心者だったわけじゃなくて、ジャズ研内で組んだバンドとかではちょろっと弾いてたんです。

高橋 思い出野郎の最初の集まりにいきなり呼び出したんですよ。それでJBのリフを一個だけ教えられて、15分くらいずっと辛そうな顔で弾いてた。なんだっけ? 「Give It Up Or Turn It Loose」?

斎藤&増田 ドゥルドゥッドゥ ドゥッデデンデンデデン(笑)

高橋 当時はジャムバンドが下火になって、ちょうどマウンテン・モカ・キリマンジャロとか、UKだとニュー・マスターサウンズとかのディープ・ファンクが流行ってた頃でしたね。僕も今よりずっとヘヴィーファンクとかレアグルーヴ志向だったんですよ。レアグルーヴだって言っちゃえば自分たちの下手さも隠せる、みたいな(笑)

斎藤 「このモタり方はレアグルーヴだ」とか言ってたね(笑)

──その時点では、もう今のメンバーはほぼ揃っていた?

高橋 (松下)源ちゃんがまだいないです。岡島くんはもともと僕もいた別のバンドが解散したんで、こっちのドラムに入ってもらって、僕はトランペットになりました。その時期は3管だったんですよ。そしたらトロンボーンのヤマノハくんが突然失踪しちゃって。そのときに「どうしよう?」ってなったけど、なぜか管楽器じゃなくてパーカッションで源ちゃんを入れることにしたんです。「あいつおもしろいから」って。それまで源ちゃんは思い出野郎のライヴでは一番前で一番盛り上がってるやつだったんですよ。それで「パーカッションできそうだから、やってよ」って誘った。

増田 「グルーヴを足そう」って言ってた。

斎藤 源ちゃんを誘った基準も見た目だよね(笑)

増田 当時は、変なもじゃもじゃのアフロヘアだった。

高橋 アフロでインドのガンジーシャツみたいなの着てた。それ着て、バーミヤンでチャーハンとライス注文してた(笑)。「混ぜてちょうどよくなる」とか言ってて「こいつは何なんだ!」と。

増田 源ちゃん、ボンゴは初めて触ったんじゃなかったっけ?

高橋 そうそう。ドラムは、やってたんだよね。じつは源ちゃんは唯一のメジャー経験者で、ジュヴナイルボートってバンドで〈閃光ライオット〉に受かってデビューしてたんですよ。でも、誘ったときの返事は二つ返事で「やるやる!」でしたね。

──それで現在の布陣に。先輩後輩とかあんまり関係ない感じですね。

高橋 最初は若干ありましたけどね。

斎藤 学年的には僕と長岡くんが一番下なんですよ。でも僕は大検で入ってきてて年齢はみんなより上だったりして、あんまり関係なく話せたのがでかい。

高橋 結構ぐちゃぐちゃで、途中から上下関係とかどうでもよくなってましたね。長岡くんのアパートが広かったから、そこにいつもみんな溜まって、酒飲んで、レコード聴いて。

──メンバー同士一緒に住んでたって話ありませんでしたっけ?

増田 それ、俺と源ちゃんですね。

高橋 その前は僕と岡島が大学の近所にあった風呂なしの平家に住んでました。その向かいに住んでたのがEMC。僕らは彼らの家の風呂を勝手に使ったり、メシを勝手に作ったりしてました(笑)。

斎藤 デモのミックスをあのあばら家でやったよね。

高橋 あの頃はその家でずっとアリエル・ピンクとかアーサー・ラッセルとか爆音で流しまくってた。

──増田くんが真夏に生のエビを放置してたって話を聞いた記憶があります。

増田 マコイチさんが岡島さんと一緒に暮らし始める前に、まず俺が岡島さんと住んでたんですよ。でも岡島さんはガスを通す通すって言って通さないし、冷蔵庫もないし、ずっとEMCの家に行ってるような感じだったから、僕は買ってきたエビを置いたままにしているのを忘れて、しばらく彼女の家に行ったんです(笑)

──人が亡くなってるんじゃないかっていうくらいの異臭がしたそうで(笑)

増田 岡島さんはしばらくずっとキレてました(笑)

斎藤 「おまえ(増田)とはもう一緒に住めない!」って言ってた(笑)

──でも、そこでバイブスの調整が行われていたという(笑)。その頃は、どういう場所でライヴやってたんですか?

高橋 学内のライヴ以外はほとんど外ではやってなかったですね。美大のなかで完結できちゃうんですよ。ライヴ・イベントもやるし、おもしろいバンドもデザイナーもいるし。狭い範囲で満足できちゃうんです。たまに外に呼ばれることがありましたけど、その頃ってブッキングする人も(思い出野郎を)どこにぶつけたらいいかわからない感じだったと思うんですよ。

──当時やってた曲で今もレパートリーに残ってる曲も多いですよね?

高橋 「TIME IS OVER」なんかは、今とはだいぶアレンジ違うけどやり始めてましたね。ディープ・ファンク志向から、だんだん歌ものとかやるようになってました。要は、本格的なブラック・ミュージックを目指してもモノにならないだろうという思いがあって、それで歌ものを作り始めたんですよ。2010年、11年くらいかな。みんなも就職し始めて、ライヴもあんまりできなくなって。だけど、なぜか週2でスタジオに入るというサイクルで活動は続けてました。日曜の夜の8時からと、木曜の深夜から朝までっていう謎のスケジュールで、金曜日はみんなふらふらになりながら会社に行ってて。

斎藤 寝ないで営業車に乗って、体がジンジンして、「なんで俺これやってんだろう?」って思ってたもん。

──よく続けましたよね?

高橋 普通、解散すると思うんですよ(笑)

増田 3・11の震災の時にみんなで集まって「なんかよくわからないけど俺たちは続けていこう」っていうことを言ってた気がする。

高橋 エモくなってた時だったね。ちょうど卒業してあの平家を出ていこうとしてたタイミングで地震があって、とりあえずみんなで集まって酒飲んで「どうしようか」って話した。ついに僕らも校内から外に出ていけるのかもと思ったタイミングで震災だったんです。

──でも、翌2012年の夏にはFUJI ROCK FESTIVALの〈Rookie a Go-Go〉に大抜擢で出演してるじゃないですか。

高橋 そうなんですよ。その頃はぜんぜんライヴもやってなくて、暗澹たる気持ちでスタジオに入ってたんですけど、とりあえずと思って応募したら受かったんですよ。

──何のバックアップもなかったんですよね?

高橋 「コネとかあったの?」みたいなことを結構聞かれましたけど、本当に何もなかった。源ちゃんが応募の担当だったんで、「受かった」ってひとりひとりに電話かけてきたけど、誰も信じなかった。

斎藤 嘘つかれたって思ってた。

高橋 ちょうど仕事で夜中まで残業してたときに源ちゃんから電話あって。さらっと「受かりましたよ、ルーキー」って言うから、「つまんねえ嘘つくなよ!」ってムッとしたら、「いや、本当本当」って。

増田 そもそも応募したこともちょっと忘れてたしね。

高橋 それで本当に受かったとわかって、当時源ちゃんと増田が住んでた三鷹のマンションにみんなで集まって飲み会をした記憶がある。ルーキーに出るときのアー写も、そのマンションの屋上でみんなで酒飲んでる写真だったんですけど、それが今回の『夜のすべて』のジャケットで平野太呂さんに撮ってもらった場所なんですよ。

──そうなんだ!

斎藤 あのとき飲み会してたら警察来たんだよね。「うるさい!」って通報されて(笑)

オフィシャルインタビュー

──〈Rookie a Go-Go〉での手応えはどうでした?

高橋 結構お客さんも集まりましたね。いい感じで盛り上がって。「これはもう、とりあえずCDは出せるな」と思いました(笑)。でも、そこからまたパッタリと何もない日々になり(笑)

──マジで?

高橋 こっちからもレーベルとかに何の売り込みもしてなかったということもあるんですけど、それから半年くらいマジで何の音沙汰もなかった。それで「これはヤバイ!」と思って始めた自主企画が〈SOUL PICNIC〉の第一回(2012年12月30日、吉祥寺曼荼羅)だったんです。なんの面識もなかったけど思い切ってVIDEOさん(VIDEOTAPEMUSIC)をライヴに、ceroの高城さんをDJに誘ったら快諾してくれて、パーティーも超楽しかった。あの夜から、ようやく自分たちだけで完結していたものが転がりはじめた感じです。あれがきっかけになって、ceroや阿佐ヶ谷界隈でどうやらおもしろいことが起きてるっぽいという動きにも、何も知らずに飛び込み始めた(笑)

──その〈SOUL PICNIC〉の第一回を仲原くんが見てて、彼が2013年に企画したマンスリーのライヴ・イベント出演〈月刊ウォンブ!/渋谷WOMBで2013年1月~12月開催〉にもつながっていくわけですもんね。さらに仲原くんが入社したfelicityからのアルバム・デビューにもリンクしていく。

高橋 増田くんも2013年の〈下北沢インディーファンクラブ〉(2013年9月24日)からVIDEOさんのサポート始めて。そういう縁も少しづつできていきましたね。僕らってかわいがられる体質のバンドだと思うんですよ。やけさん(やけのはら)もそうだし、周りの先輩の人たちがよくしてくれる。やっぱり、ほっとけない感じがあって、続けられた部分もあるかもしれないです。「こいつら大丈夫か?」みたいな(笑)

──上からかわいがられるだけじゃなく、Y.I.M.とかEMCとか、横のつながりもあるんじゃないですか?

高橋 Y.I.M.とかEMCとかも対バンして仲良くなったというより、周りの友達も急に音楽始めたし、意外とかたちになってて下手したら俺らより売れてきちゃった、みたいな不思議な感じなんですよ。よくもわるくもビジネス感がない。

──当時、思い出野郎の、ライヴを見てて、曲もいいし、センスもいい。でも、野暮ったさというか、ダメな男子ノリみたいなのも全開で、そういうところでも胸が熱くなる部分があって。時代が洗練された編集感覚に向かっていく流れに逆行したドツボ感があって、ちょっと不思議な存在感だったんですよ。

高橋 ソウルが起点だけど本格的なファンクではないし、僕らはポップ・バンドだと思ってはいました。キザな感じは避けたいというか、整いすぎるとすぐメンバー間で却下になるみたいなところもありますね。

斎藤 でも、僕らはどうやっても整いすぎた感じにはなんないって最近ようやく気がつきましたけど(笑)

──felicityでのファースト・アルバム『WEEKEND SOUL BAND』は2015年の2月です。いまとなっては懐かしく感じる部分もあるでしょ。

高橋 そうですね。このときはとにかくプロデューサーのmabanuaさんが整えてくれてたという部分が大きかったです。曲も全部それまでにやってきた曲だったし、僕らは普段通りにやるだけで、テイクのジャッジメントはmabanuaさんがやってくれた。ただ、今回あらためて聴き直してみたら、自分たちのクセというか、曲への思い入れが強いがゆえに、一般的な意味では聴き取りづらい部分もちょっとあるかなと感じました。

斎藤 まあ、聴き直すと「下手だな」とか思ったりしますね(笑)。曲の構成とか天然でわけのわかんないことやってたんだなって思います。変なとこで裏打ち入ったり。

高橋 狙ってない、それが良さではあるんですけどね。ただスタジオでやってて「ここで気分変えたいからレゲエにしよう」とか。

斎藤 セッション感がすごく強かった。

高橋 そこをいい感じでmabanuaさんが商品として成立させてくれてたんで、このときのほうが安心感を持って作ってた気がします。

──「週末はソウルバンド」を筆頭に、今もみんなに愛されてる曲が多いアルバムですよ。

高橋 「週末はソウルバンド」は、思ったより受けたという印象があります。

増田 ぜんぜん受けるとは思ってなかった(笑)

高橋 「女口調だったらおもしろいんじゃない?」みたいな、そういうノリでパッと作った曲なんですよね。「AOR調」って最初は言ってたし。

──AOR調!

高橋 結局は最終的にはAORにはならなかったんですけど。〈SOUL PICNIC〉の第3回(2013年8月12日、下北沢THREE)で初めてやったら、すごい評判よかったんですよ。ライヴぎりぎりで歌詞ができたくらいだったんですけど、やってみたら「いい歌っすね」ってみんなに言われた。

──さっきも言ったけど、男子のだらしなさをストレートに歌うというノリが、当時のインディーでは意外だった。ちょうど空いてる席だった気がします。

高橋 そうですね。周りは、歌詞のレベルが文学的なのが多かった気がします。僕らはその逆へ逆へ行ってたので。確かに、この曲から思い出野郎が知られることが多くなったかな。ファーストの前に「TIME IS OVER」を先行でシングルで出したとき(2014年12月27日)もすぐに売り切れたし。ついに「今度こそ売れるんじゃないか?」と。

──第2期「売れるんじゃないか?」(笑)

高橋 『WEEKEND SOUL BAND』もできたときはすごく手応えがあって、「こんなアルバム他にないし、これは売れたな」と思ったんですよ。ジャケもいい! ……でも、蓋を開けてみたら、そこそこだったんですよ。決して「売れなかった」というわけではないんですけど、ちょっと「あれ?」ってなりました(笑)。音楽通な人たちには評判よかったんですけどね。さっきも「クセが強かった」って言いましたけど、ファーストは歌詞の中身とかが結構個人的なんですよ。状況とかが限定的だし、歌もがなってるのが前面に出てるし、演奏もいなたい。ライヴでやってて、自分たちでも「いい」と思ってる曲をいっぱい入れたから、いきなりシングル集みたいな感じで結構カロリーが重いんですよね。あと、歌詞を書いてた時期がアルバム制作よりちょっと前だったから、もろに3・11が色濃く影響してるんですよ。直接は言ってないけど、「Side-B」とかも結構暗い歌詞だし。卒業して仕事も始まっててつらいし、暗いメンタリズムのなかで歌詞を書いてたから、エモいというか、感情的な要素がすごく強いアルバムだなと思うんですよ。

──そして、そこからの2年半。最初にも言いましたけど、「曲を使い切って、ストックがほとんどない」って話を聞いてたから、印象的には案外早くセカンドを出せた感もあるんですよ。

高橋 リミットを突きつけられたというのもあるんですけどね(笑)。出し終わって1年くらいから、じわじわ言われてはいたんですけど。タッツくんがカクバリズムに移るということもあったけど、自分たちとしてもしびれを切らした感はありました。アルバムを作るどうこうよりも曲が増えていかなかったから。ライヴに呼んでもらえる機会は増えていたけど毎回ライヴでおなじ曲やってる。そこもジレンマで。なので、今年に入ってからくらいで発売日を先に決めて、一気にガーッと曲を作っていきました。

──今までは「一気にたくさん書く」という経験もなかったわけでしょ?

高橋 めちゃめちゃ大変でした。でも、ちょうどいいタイミングで『シャキーン!』があってよかったです(2017年2月からオンエアされた〈モモエと思い出野郎Aチーム〉名義の「逆にパワー」。思い出野郎も出演)。急な依頼だったけどいい曲ができて、やろうと思えば意外とできるという手応えができたんです。しかもあのときの依頼は、うちのバンドに求められてる感じがわかりやすかったし、歌詞もわかりやすく、元ネタの曲もあって、キャッチーで、という方向が頭のなかでちょっと整理されたんです。その流れで、セカンドでも聴きやすさを受け入れつつ曲を作ろうと思えるようになったんです。

──具体的にいうと、その「聴きやすさ」って?

高橋 あんまり言葉を限定的にしないようにしようと思ったんです。「週末はソウルバンド」はすごく評判いいけど、やっぱり歌ってることがすごく限定的で直接的だったりして、わからない人は意味がわからないかもしれない。今回は、直接的なようでいて、言葉としての抽象度はじつはあがったという作りにしたいなと思ってました。たとえば「ダンスに間に合う」ということを歌ってるけど、「なんで間に合わないのか?」は歌わないとか。そういうところで、いろんな人が聴いても響く内容にしたいかなとなんとなくは思ってました。歌詞も3倍くらいの量を書いて削ったり。

──理由をはずして、言ってることの意味を聴き手に広く持たせる効果はあるかも。新作の「早退」とかもそうですよね。前段に来る「仕事がつらくて」とか、そういう理由を言わないことで、曲のフットワークが軽くなってる。

増田 「早退」は好きな曲です。

高橋 最初はそういう仕事のつらさを前面に出してたんですけど、「やっぱそれじゃダメだな」と思って、やめたんです。

──削ったことで出る余韻もあるし。

高橋 でも、削りすぎて1番しかない歌ばっかりになっちゃったけど(笑)

──でも、それが「瞬間を切り取った」感にもなってるんですよ。今考えてることや今の暮らしを説明的にやるんじゃなくて、そのなかで感じてる気持ちそのものが言葉としてあって、だからさらに共感されやすくなっていて。

高橋 あと、今回は曲的には「モダンソウル」というのもテーマでしたね。去年、ユアソンの超2日間に出たとき(2016年12月4日、恵比寿LIQUID ROOM)に、JxJxさんが俺らのことを「我流モダンソウル」って言ってたんです。それってまさに自分のイメージしてたことだったんですよ。今、AORとかディスコとかブギーっぽいバンドはいっぱいいるけど、俺らはモダンソウルだなと思って。

──男性コーラスが今回増えてるのも、モダンソウル感あるかも。

高橋 わいわい歌う感じで。流麗な感じというのもそうだし。

斎藤 流麗な感じっていうのはずっと言ってたよね。

高橋 みんな好きな音楽はバラバラではあるんですけど、共通して好きなものを抽出すると今回のアルバムみたいなことになるのかな。あとは、とにかく単純に、なるべくシンプルなものを作るという。

──そういう意味では、さっきはファーストはmabanuaさんが結構まとめてくれたという発言があったけど、今回は自分たちのプロデュースでまとめていくという決断があったわけで。

高橋 そうです。今回はゲストも呼ばないで、自分たち7人の力で作っていこうと。結構大変でしたけど、そこでmabanuaさんとやってた経験が物を言いました。脳内mabanuaというか、mabanuaさんだったら「ここ削る」って言うだろう、みたいなことを考えて作業したり。あるいは、その逆で「だからこそ今回はそれはやらないでおこうかな」と思ったり。mabanuaさんは「いや、そんなこというほどちゃんとできてないだろ」って思うかもしれないけど(笑)。あと、今回のエンジニアの田中章義さんはミツメとかを録ってる人で、ソウル感とか関係なく、きれいにポップスとして成り立つようにしようよって言ってくれたのもよかった。僕らだけだと「これはまあ、ソウルっぽさなんで」みたいなところで終わりそうなところを「でも、ポップスとして成立してないんじゃない?」みたいな意見をくれて。「じゃあ、ここもうちょっと盛り上げるようにレイヤー足そう」みたいに、タッツくんもエンジニアさんも含めてみんなでわあわあ言いながらやってました。

──じゃあ、そんな手応えのあるセカンド・アルバム『夜のすべて』の収録曲の話を後半はしていきましょうか。

後編

2017.10.01
Update

オフィシャルインタビュー

思い出野郎Aチーム、セカンド・アルバム『夜のすべて』発売記念のロング・インタビュー。後編ではアルバムの収録曲について、ディレクターの仲原達彦くん(カクバリズム)にも加わってもらい、いろいろと語ってもらった。
レコーディングのエピソードだけでなく、曲作りの過程ではっきりとしていったソングライター高橋一の思いが、この痛快なアルバムを貫く一本の骨になっていることがわかる。ぜひ読んでもらいたい。そして、大きな音でもう一度頭からアルバムをプレイしてほしい。 では、後編も10000字!

──では、ここからはアルバム『夜のすべて』について一曲ずつ聞いていきます。まずは、前編でも「シングルになると思ってなかった」という話があったM1「ダンスに間に合う」。

高橋 最初は、流れとしては「夜のすべて」か「アホな友達」がアルバムの頭だと思ってたんですけどね。

斎藤 アルバムでも結構最後のほうにできた曲だよね。

高橋 これからレコーディングにはいるギリギリのタイミングだったんですけど、「オープニング・ナンバーみたいな曲が足りないね」という話をしていて、すぐにスタジオで作りました。もちろん最初はシングルにするつもりもないし、なんならAメロ部分もないくらいの構成だったんですよ。イントロとサビをずっとシンガロングしてすぐに終わっちゃう小品くらいのイメージでした。でも、作り始めたら意外といいんで、Aメロも作ってちゃんと曲にしようかなと思ったんです。

──サビの「今夜 ダンスには間に合う」っていうのがキラーなフレーズだなと思います。いろんなものを逃してる人生や毎日でも「ダンスにだけは間に合う」って言われたら、それは救いとして響きますよね。

高橋 家の台所で仮歌録りしてる時点では、まだ歌詞ができてなかったんですよ。その日に源ちゃんがどこかでDJすることになってたから、「この曲ができて間に合ったら、行こう」と思って、それが歌詞になったんです。でも、その日は結局できあがらなくて、ダンスには間に合わなかったんですけどね(笑)

──「ダンスに間に合わなかった」!

高橋 そのおかげで「間に合う」「間に合わない」ってワードが出てきて、そこからはワーッて一気に書けました。ただ、個人的な裏テーマとしては、「ダンスには間に合う。じゃあ、俺らはなにに間に合ってないんだ?」というのはあるんですよ。まあ、そこはあえて言わなくていいところなんですけど。

──その裏テーマをはらみながらアルバムが幕開けして、心地よいフィーリングのままM2「アホな友達」へ。初めてライヴで聴いたときは感動しました。思い出野郎の曲はもともとアンセム感があるのが多いと思ってたけど、全世代のボンクラ野郎どもに響きますね、これは。

高橋 「アホな友達」ってワードは意外と早くからあって、それをどういう曲にしようかと思ってたんですよ。簡単な曲にしたかった。それで、バンドに曲を持っていったら「これ誰?」「あいつのことじゃん?」みたいに盛り上がって、アホな友達だらけになった(笑)。特定のモデルはいなかったし、どっちかっていうと僕たちこそがアホな友達のほうだとも思うんですけど。

仲原達彦 「思い出野郎のテーマソング、キタ!」と思いましたね。思い出野郎のことを知れば知るほどこの曲が好きになるだろうし。

増田 「7インチ出すならこれだろう」って思ってました。

──デ・ラ・ソウルがア・トライブ・コールド・クエストやジャングル・ブラザーズが〈ネイティヴ・タン〉っていうユルいクルーを組んで活動してたころに「Buddy」っていう曲があるんですけど、あの感じも思い出しましたね。あのタイトルにぴったりくる訳が「アホな友達」だったんじゃないかな。そう言い合えることでつきあえる関係の良さって、世界共通なんだなと。

高橋 友達とか友情の歌って多いと思うんですけど、いい言い回しがないか探してて。そのときに思い浮かんだ「アホな」ってワードに、すごく愛を感じたんですよ。

仲原 odd eyesに「うるさい友達」って曲があって、どついたるねんにも「おれの友達おもしろいっしょ」って歌詞がある「MY BEST FRIENDS」って曲があるように、「友達」って言ってるだけなのにうれしくなってくる感じってありますよね。

高橋 今って狭いカテゴリーでぎゅっと詰まってしまう時代感みたいなものがあるなと思ってて、「友達」ってワードがあんまり出てこないんですよ。そういうときに、こんな歌があるのはバカっぽくてポジティヴでいいなと。

斎藤 合唱してる感じもいい。

──「ア、ホナ」って語感もソウルっぽいし、初期のウルフルズみたいな感じもあって最高に好きです。ずっとやり続けて、何年か後には観客もスタッフも大合唱してる曲になっててほしいです。そしてM3「夜のすべて」。新曲としてはライヴで比較的早くからやっていた曲ですね。タイトルは「スゲー自由」だと思ってましたけど(笑)

斎藤 ただ、アレンジは最初にやってた頃からはめちゃめちゃ変わりました。

増田 かなり変わりましたよね。最初は僕、シンセ弾いてましたから。意外と声のレイヤーが多いから、そのうちシンセはもうやめちゃおうということになったんです。

高橋 やりながらずっと試行錯誤してましたね。曲に関していえば“ディスコあるある”なタイプで、一個のリフをひたすら繰り返すディスコって70年代後半にはいろいろあるし、レコーディングだと成立するけど、ライヴでは結構難しくてあんまりやらながちなんですよ。特に日本のバンドはやらながち。それにチャレンジしようというアイデアだけで最初はスタートしたんです。

斎藤 最初はもっとテンポも早かったかな。

高橋 難しさを、ライヴではパンキッシュにやることでごまかしてた。

斎藤 「スゲー!」って歌って、なんとなくやってたかも。

高橋 だから、アルバムに落とし込むときはもうちょっとダンス・ミュージックとして機能するように、こだわりました。結果、いいバランスになったかな。あと、この「スゲー自由」ってワードも、世の中から自由さがどんどん薄れてくような感じがあるから、あえて書こうと思ったんです。「だってなんにも自由じゃないでしょ?」という思いが最初にあった。世の中的にはどんどん思想的に右傾化してゆくのに、ポップスは相変わらず「街はきらめいている」みたいな歌詞を歌っていることにすごく違和感があったんですよ。「そんなにいいもんじゃないでしょ?」という気持ちと、「でも本当はそういう歌が好きなんだけど」っていう相反する気持ちがわりとあって書いた曲なんです。

──なるほど。自由を謳歌しているわけじゃなく、「本当に自由なのか?」を問うてもいる。

高橋 自由さがどんどん失われてゆく気がするから、「自由」についてどんどん言っていかないと、って、ちょっと思っていて。ただ、それでいてすげえバカっぽい曲にもしようとも思ったんで、サビでは「スゲー自由」をひたすら連発するという(笑)。そういう意味では、「アホな友達」も一緒ですね。歌ってはいけないサビの2連発という感じなんです。

──そのダサさを飛び越えた開き直り感が、ぐっとくるんですけどね。そしてM4で、ちょっとテンポ・チェンジをして「生活リズム」。

高橋 これも結構前からあった曲ですね。最初はミネアポリス・ファンクにあるこういうリズムを取り入れてやったつもりだったんですけど、僕らがやるとどうしてもアジア民族っぽくなっていく。そことのギリギリのせめぎ合いでしたね。「アジア感を消したい」って僕は言ってるのに、みんなが作るフレーズにはむしろその要素が出てきて。結果的にジャンルがよくわからない不思議な曲になりました。

──そう言われれば、不思議な曲かも。

高橋 歌詞も基本的には「生活リズム」の繰り返しですからね。これはもう語感がいいだけで、なんも言ってない(笑)

──歌詞8行しかないんですよね。でも、繰り返し聴いてると「俺も最近リズム乱れてるかも」って思う(笑)

仲原 「狂っていく」ってフレーズが入ってるのが、いいですよね。

高橋 あらためて「生活リズム」って、いい言葉かもしれない。

斎藤 ロハス方向ではぜんぜんない。

増田 よくしていこうとも思ってないですよね。どんどん狂わせましょう!

──M5「早退」。増田くん、これが好きと言ってましたよね。

増田 大好きっすね。

高橋 最初はインタールード感が欲しくて作ってた曲なんです。曲としてはダップトーンとかの、アメリカのネオ・ヴィンテージみたいな曲を作りたくて、それはできたという手応えはありました。意外といい曲になってきたんで、歌を乗せることになった。そのときに「ソウルっぽい語感ってないかな」と探したときに「ソウタイ」って「soul time」と響きが一緒だし、結構ブラックぽいなと思って、その語感だけで書き出したんですよ。

仲原 そういう意味ではceroの「Summer Soul」と一緒なんですよ。あれも「サマソー」ってみんな歌うじゃないですか。でも、思い出野郎が「soul time」でそれをやると、みんなの頭のなかで「早退」に変換されて「あー、会社の歌か」ってなっちゃう。ぜんぜんceroみたいにならなかった(笑)

高橋 でも、早退ってすごいワクワクすることですよね。これはぜひブラック企業の公式ソングに採用してもらいたいです。このメンタリズムって今なかなかないじゃないですか。

──ちなみに、増田くんがこの曲が好きな理由って?

増田 いや、もう、仕事がツラいからです(笑)。いつも夜11時くらいに帰ってるから、俺も早退したい。

──そういうところのリアルにぐっと食らいつくところ、思い出野郎にはあるんですよね。

仲原 これじゃなきゃダメな人たちって絶対いるんですよ。自分の事を歌ってるんじゃないかって。「人生が変わる」とまでは言わないけど、「助けられる」「救われる」って今あんまりない要素だと思うんです。

高橋 そういう意味では、「物語性の無さ」については結構考えてますね。人生をドラマ化しないというか、ミニマル感というか。歌として映える歌詞を考えるのなら、もっとドラマチックにとらえて書いていくべきなんだろうけど、日常のリアルとして考えるなら「これぐらいのことでしょ」という自覚があるんです。

──設定とか意味性を省いていく。

高橋 そういうふうにしたいなと。

──アナログLPとしてイメージすると、ここまでがA面という感じですね。

仲原 ここまででアルバム前半が総括されてる感じありますよね。ダンスに間に合ったら、アホな友達がいて、それが夜のすべてで、生活リズムも狂わせられた。そして、そういうことが起こるきっかけが早退だっていう流れ。

──言われてみたら確かに! で、ここからB面というかアルバム後半。その皮切りがM6「フラットなフロア」で、ぐっとメッセージ性を押し出していて。

高橋 さっきもすこし言いましたけど、今回のアルバムを作りはじめたのが、世の中がどんどんきな臭くなっていった時期だったんですよ。いろんな思想があるとは思うけど、僕はレイシズム的なものにはぜんぜん賛同できないなという思いがあったんで、そこは結構ストレートに出しました。とはいえ、クラブのフロアの話にはしたんですけど。ヘイトに反対するとかそういうものに対する意識を出したことを言うと「左じゃん!」とか言われたりする。でも僕は別に左じゃなくて中道の話をしたいだけなんだけど、という部分がある。せっかくカクバリズムからポップなかたちでアルバムを出すのに、こういうメッセージを入れてどうすんだろうと悩んだ部分もあったんですけど、マーヴィン・ゲイとか、こういう問題に触れるのもソウルの伝統としてありますよね。だから、「ポップスとメッセージソングが同居しててもいいじゃん」って思ったんですよ。アメリカのR&Bだって政治的なメッセージはがんがん入ってるし、「俺らがやってなにがわるいんだ」という気持ちがひとつありました。

仲原 歌詞を一番伝えたいのはこの曲なんだなという思いは僕にもありますね。

オフィシャルインタビュー

──アレンジをあえてイケイケにしてないっていうのも、ひとつのポイントだと思うんですよ。クールに淡々とやってる。アスワドとかUKレゲエの感じ。

高橋 「メッセージソングだからラウドなギターでがならなくちゃいけない」みたいなのは僕らの考えとは違くて。

仲原 真剣に考えてるからこそ冷静に、というところですよね。「ノリで盛り上がればいいじゃん」にはしてない。

高橋 もともとダンス・ミュージックでフロアで踊るというのは、そこだけはフラットに関係なく交われる場だということだったと思うんですけど、そういうのがこれからはどんどん難しくなっていくんだろうとも思うんです。ディスコ・ミュージックで踊ったりすることは、世の中がわるくなればなるほど意外とパンキッシュなことになっていくよねという思いも、僕にはちょっとある。「週末はソウルバンド」で「嘘は歌わないで」と歌った以上は、「今起きてることをシカトして、ただ楽しいだけでいいっていうのはないんじゃないかな」と今回アルバムを作るときは思ってました。

仲原 ファーストでも「ONE MUSIC」とか、こういう意識の曲はあったんですけど、それが今回もっと伝わりやすくなったかな。

高橋 「正義だ!」みたいなメッセージをごり押しするのは避けたいんですけどね。日々いろいろ感じているなかで「こう思ったから書いた」というだけで、変な使命感とかはないんです。

──そこは絶妙に避けられてると思いますよ。ダンスフロアの寓話性をうまく持ち込んで、普遍的なメッセージにしようとしてるし。

仲原 歌詞を読んでも、別にそんなこと思わない人もいるだろうし。どこか一行くらいハッとしてもらえたら、くらいの感じなんですよ。

──そういう意味だと、M7「Magic Number」には、さらにドキッとするラインがありますよね。

高橋 「役に立たないミュージック」とか、「やってしまった」という感じはあります。書いてるときはワーッと書いて「別にいいじゃん」と思ってたけど、結構ガツッと言ってしまってるんですよね。

仲原 ライヴでやったときも、フロアの感じがちょっと変わりますね。

高橋 別になにかを批判してるわけじゃなく、どういうやつでも税金を納めてて選挙権があったら政治的な立場になってしまっているわけだし、世の中がいやな感じになるときに無関係ではいられないよねというのが、曲を書くときの起点ではあるんです。僕みたいなノンポリで無自覚な人間の耳にもシリアのニュースとかが入ってきてた時期だったし、ちょっと見過ごせないような時代のなかにいることはわかるから。そんな気持ちで「きらめく街でぼくたちは」みたいなことは歌えなかった。かといって、「音楽の力でなにかするんだ」というのとも違う。役に立たないけど、だれかと共有して聴いたときになにか救われる部分はあるよね、みたいなことを、ポップにやりたかったんです。もともと「ウィングスみたいな曲を作りたい」というのがあって作った曲だし。

──なるほどね。「心のラブソング」みたいなところありますね。

高橋 でも、歌詞まで「心のラブソング」みたいになっちゃうのは違うなと思って。歌詞で書きたいことのなかで一番どぎついのをこのポップさにぶつけようと思って作り始めたんです。

斎藤 この歌詞の内容でこの曲調はいいと思う。

増田 もう何回かライヴでもやってる曲だけど、「アルバムになったら歌詞が変わった」とかにならなくてよかったなと思いました。

仲原 曲のテーマとしても、「週末はソウルバンド」や「TIME IS OVER」とそんなに変わらないと思います。

斎藤 マコイチくんがこの曲持ってきたときは歌詞にびっくりはしたけど、「TIME IS OVER」の裏側にも、こういう気持ちはあったと思う。

高橋 これは角張さんにもちらっと言ったんですけど、「シティポップで 行進するファシスト ぶっとばすビート 恋人たちは踊る」っていうラインも、どこで切るかでダブルミーニングになる仕掛けはしてるんです。「シティポップでファシストをぶっとばす」とも受け取れるし。シティポップを批判してるわけではぜんぜんないんですよ。なんならこの曲がアルバムのなかで一番シティポップだし。でも、自分たちが愛するそういう音楽が政治的にいやな使われ方をすることもあるし、ディストピア的な世界にもなりうるかもというヴィジョンが僕にはちょっとあって、そこが「役に立たないミュージック」というラインにつながっていくんです。

──すごく誠実だと思うし、この曲が変に誤解されることはないと思います。逆にいうと、この2曲がアルバムを聴き流させない骨のような存在であることがうれしい。

高橋 でも、「おまえ、さっきまで会社早退するって言ってただろ!」みたいな感じでもありますけどね(笑)

──でも、そこが大事なんじゃないですか? 仕事ズル休みする人だからデモ行ったり、まじめなことをいう権利がないというのは、話が違う。

増田 ちなみに、この曲、すげえサックスがしんどいんですよ(笑)。低音のほうをずっとリフで吹きっぱなしだから。

高橋 あと、斎藤くんの謎のソロがありますね(笑)

斎藤 急に牧歌的になる。“牧場ソロ”ですね(笑)

──で、アルバムのひと山越えての、M8「彼女のダンス」。

高橋 これはもともと「TIME IS OVER」のMVを撮ってくれた嶺豪一くんの短編映画『どろん』のエンディングのために最初は作っていた曲なんです。アレンジとかはぜんぜん今と違ったんですけど、曲調としては、この曲が一番僕らのルーツっぽいというか。

──王道のR&Bバラードなテイストですよね。

高橋 そうです。サザンソウルとかアル・グリーンみたいな。ミックスも、ドラムを旧に片チャンネルにして昔の感じにしたりしました。

仲原 最初、みんなは「アルバムに入れたくない」って言ってたんですよ。

高橋 映画用の曲だったから、アルバムには入れなくてもいいかなと思ってたんですよ。

仲原 でも曲順で並べてここに置いてみたら、はまったんですよね。それに、この位置に「彼女のダンス」がないと重いままアルバムがエンディングに向かってしまう。そのままの気分で朝を迎えるわけにはいかない感じがあって、入れることになったんです。

高橋 「彼女のダンス」って言葉に、誰かしらのダンスを遠くで見てる感じが出ていいなとも思ってました。「彼女とダンス」だと一緒に踊ってるんですけど、「彼女の」にすることで遠くから眺めてる感じが出て、せつない感じかがある。パティ・ペイジの「テネシー・ワルツ」みたいな。あれもせつない歌詞ですからね。

──日本語のロック、ポップスの伝統も感じるし。

仲原 (忌野)清志郎さんの感じもありますよね。後年のというか。

──ああ、その感じ、わかります。RC時代というよりソロになってからの、意味を削ぎ落としたような曲を歌ってた清志郎ですよね。なんか普遍的なせつなさでいろんな感情が洗い落とされた感じになりますね。そして、M9「大切な朝」。

高橋 アルバムの後半に明るくてアッパーな曲が欲しくて作り始めたんです。でも、曲はまあまあアッパーにできたんですけど、歌詞がなかなか書けなかった。僕の芸風として、アッパーな歌詞を書くのが難しくて。でも、ここで『シャキーン!』の「逆にパワー」がいい後押しになりました。あれを経たことでこの曲は書けた気がします。

──あと、この曲では男性コーラスも活躍します。

高橋 ディスコの伝統のひとつで、メインじゃないやつが先に歌ってて、メインがAメロから出てくるのをやりたいと思って。でも、それもすごく苦労しました。

斎藤 コーラスの声質のパターンがどうやったら落ち着くのかがなかなかわからなかった。

増田 ミヤモ(宮本)のコーラスのインパクトがすごい(笑)

高橋 ハモりも入れようと思っていろいろやってたら、変なゴスペル感が出て、結果的には“ドリフ感”になった。

──“ドリフ感”(笑)。その感じありますね。「ドリフ大爆笑」オープニングとかの、ちょっと生気がない感じのコーラス。

高橋 夜が明けて、野郎どもがダラっとたむろしてる感じで、でも、本当にいいパーティーを経てるとなにかいい感じが生まれているという。なんにもなしとげてないのに、なにかをなしとげた感があるんですよ。「あそこのDJのつなぎ、よかったね」とか言いながら帰る、二時間後には消えてしまう充実感。

斎藤 「徹夜やめときゃよかった」とか思いながらね(笑)

仲原 そういう朝を経験してるからこそ書ける歌ですよね。

──クレイジーケンバンドの名曲「発光!深夜族」にも、徹夜明けの空を「黄色い朝」と表現したキラーなワードがあるんですけど、まさにそれですよね。この朝の感じ、だんだん失われつつあるじゃないですか。みんな夜遊びそんなにしなくなってきてるし。だらだら朝までいるということがない。

仲原 そうなんですよ。で、そのまま朝から仕事に行くというのがM10「月曜日」なわけで(笑)

高橋 もともとはスタンダードな16ビートのつもりで作ってたんですけど、やってくうちにブラジル感というか、謎のトロピカル感が出てきて。それでエレキだったイントロをアコギに変えたんです。

斎藤 ミツメに借りたアコギを僕が弾いてます。

増田 スタジオでこれやってるときに「フルートあったらいいよね」って言われて、すげえフルート練習しました。

──またクレイジーケンバンドの話をしますけど、すごく似た曲があるんですよ。「からっぽの街角」っていう初期の曲で、日曜日の夜から月曜日の朝への時間の流れを歌にしてて、しかもイントロもアコギのカッティングだし、曲調も似てるんですよ。

一同 へえ!

オフィシャルインタビュー

──え? 知らなかったとは信じられないくらい似てるんですけど(笑)。でも、なんとなくこういうサウダージ感は日曜の夜や月曜の朝にはあるのかもしれない。

斎藤 徹夜明けのサウダージ感。

高橋 それもまた「経験すると見えてくる感じ」ってことですよね。この曲はアルバム最後にしようと思ってから、歌詞もそれを意識して考えたら「月曜日」というサビが出てきたんです。個人的には「昨日フロアで見た夢を 今朝はトイレに流してる」というラインが、このアルバムすべてを言い表しています。そして、カタギの人は月曜日は仕事に行く。そこからまた一曲目に戻って、週末のダンスに間に合うっていうループする感じ。

増田 この曲、本当に「月曜日」ってしか言ってない(笑)

──アウトロなしでパスっと終わるのも好きですけどね。

高橋 アレンジ的にも、この曲ではこれまでやれなかったことが意外とできたと思います。

増田 今まではこういうのをやろうとしても「おれらの力量では無理だ」って話になってた。

高橋 複雑に音が絡んでるようですっきり聞こえて、結構ミニマルなんですよ。エディット感がわりとあって「かっこいいじゃん」と自分でも思える。

──実感として「うまくなった感」はあるんですか?

高橋 そんなにないんですけどね(笑)。やっぱり「うーん」って詰まったりしてるし。課題満載ではある。ただ、レコーディングではいいテイクが録れたなと思ってます。

増田 ファーストのときは、俺らが歌ものを作っても勝負できない気がしてたんですけど、今回は「普通に歌ものを作ろう」って言ってましたね。

高橋 そこに振り切ろうという感じはあったかな。

仲原 アルバムを”自分たち”で作った感じはあるよね。ファーストの時点ではまだ、とにかく「出せた!」という感じだった。

斎藤 前からやってきた曲だから自分たちでは客観的に見れなくなってたからね。プロデューサとしてmabanuaさんがいてくれて、われわれの見えてないことを言ってくれた。

高橋 今回はみんな曲を客観視できてたよね。「ここが弱いからこうしよう」という話で曲を仕上げていけた。

──客観視という点でいうと、英語のタイトルが「That Night」だっていうのも意味深くいんですよ。自分にとっての知ってる夜だったら「This Night」なんだろうけど、これは「That Night」。そうすることで、「俺たちの今夜」に限定されない、「いつかの夜」だし「だれかの夜」になるわけじゃないですか。そのイメージの広げ方を獲得したんだなと思えるんです。

高橋 写真も、そういうコンセプトに沿って太呂さんに撮ってもらって。ファーストのジャケもよかったけど、今回はちゃんと意味が全部にある。そういう意味で「セカンドに進んだ感」がすごくあると思います。いいものができたと思うんですよ。

仲原 で、かっこいい写真のケースから中身を出すと、このメンバー写真で、「本当はバカなやつらがやってるんですよ」って思ってもらうという(笑)

高橋 「中身違うんじゃない? 交換してください!」みたいな(笑)

──その出オチができるのもこのメンバーだからこそ。最初はまじめそうに見えたベースの長岡くんも、今はすごくサグい感じだし、みんなおもしろいですよね。

斎藤 宮本くんはレコーディングだと、途中からリズムをつかむために歌いながら鍵盤を弾くんですよ。「ポコチン、ポコチン」って。

高橋 「あー、ポコチン、ポコチン、これか!」って(笑)

──じゃあ、「ポコチン」でロング・インタビュー終わりってことで!(笑)


思い出野郎Aチーム

思い出野郎Aチーム

おもいでやろうえーちーむ

2009年・夏、多摩美術大学にて結成。
ファンク、ソウル、レゲエ、ディスコ、アフリカンミュージック、パンク、飲酒を織り交ぜたスタイルで活動中。FUJI ROCK FESTIVAL、Sunset Live、カクバリズムの夏祭りなど、 数多くのフェス、イベントに出演。また、メンバーは、VIDEOTAPEMUSIC、Y.I.M.、G.Rinaなどのミュージシャンのライブサポート、レコーディングへの参加など、多岐にわたって精力的な活動をしている。

OMOIDE YARO A TEAM OFFICIAL SITE

ページトップへ