〜前編〜
 ローリング・トゥエンティーズと呼ばれた好景気に沸くニューヨークを、あるいはロスト・ジェネレーションと呼ばれたシニカルな世代を代表する作家、F・スコット・フィッツジェラルド。彼が、1932年という世界恐慌のまっただ中、人気も私生活も落ち目に差し掛かった時期に書いたエッセイが「My Lost City」だ。かつて、妙な違和感を抱えながら、それを振り払うかのごとく遊び回っていた日々を思い返す同小品は、まるで、ドラマチックな夢から覚めたあとのように侘しい。そして、終盤、フィッツジェラルドはエンパイア・ステート・ビルに上り、その違和感と、"わたしのまち"の正体を知ることになる。「私はニューヨークという都市の致命的な誤謬、そのパンドラの箱を眼のあたりにしたのである。(略)ニューヨークは何処までも果てしなく続くビルの谷間ではなかったのだ。そこには限りがあった。その最も高いビルの頂上で人が初めて見出すのは、四方の先端を大地の中にすっぽりと吸い込まれた限りある都市の姿である。果てることなくどこまでも続いているのは街ではなく、青や緑の大地なのだ。ニューヨークは結局のところただの街でしかなかった、宇宙なんかじゃないんだ、そんな思いが人を愕然とさせる。彼が想像の世界に営々と築き上げてきた光輝く宮殿は、もろくも地上に崩れ落ちる」(注1)。
 阿佐ヶ谷駅前の商店街にあるカフェ&バー<roji>。階段を上り、ドアを開けると、ceroは、1年9ヶ月前にインタヴューをした時と同じ席に座っていた。しかし、彼等はあの日とは何処か変わったように感じられた。それはそうだろう、そこにいたのは、高城晶平(以下、高)、荒内佑(以下、荒)、橋本翼(以下、橋)――04年の結成以来、ドラマーを務めてきた柳智之(注2)は昨年5月をもって脱退してしまったため、現在のメンバーはこの3人なのだ。そして、ceroの変化は、何よりも、昨年1月にリリースされたファースト・アルバム『WORLD RECORD』と、彼等が完成させたばかりの『My Lost City』を聴き比べれば瞭然である。また、両者の間には、"3.11"という大きな出来事があったわけだが、前者と同じように、後者ではパラレル・ワールドを舞台にした冒険活劇が繰り広げられるのにも関わらず、そこには、明らかに、高城が母親と営んでいるこの店も揺らした件の地震が濃い影を落としている。「私たちは変わらなければならない」。昨年、そのような言葉を、様々な場所で見聞きした。ところで、リスナーであるところの私たちは変わったのだろうか? 変わったひともいれば、すっかり、元通りになったひともいる。いや、もちろん、忘れたいという気持ちもよく分かる。『My Lost City』のラストに収められた<わたしのすがた>に登場する、東京タワーの曲がった先端も既に修復された。展望台から見る景色も以前と変わらないように思える。ただ、ceroは変わったのだ。このアルバムは、他でもない、アフター・3.11のポップ・ミュージックである。私たちはそれを通じて、現実の見方を変えられ、その場所で、"わたしのまち"の正体を知ることになるだろう。

 

■『My Lost City』はポップだけど、その実、ヘヴィーなアルバムだと思うんだよ。

高 そうですね。

■セカンドを、こういった、コンセプト・アルバムという形にしようと思ったのはどうして?

高 おそらく、きっかけになったのは、昨年の秋頃、クリスマスに渋谷の<WWW>でやることが決まっていたワンマンのタイトルを、吉祥寺にある<中華街>って中華料理屋で決めていた時、僕が"My Lost City"って候補を出して。

橋 ああ。

荒 そうそう。

高 "My Lost City"って単語はその時が初出だと思うんですよね。ワンマンのタイトルは、最終的には<Contemporary Tokyo Cruise>になったんですけど、"My Lost City"も妙に引っかかったというか、段々と自分たちの今のモードにしっくりくる言葉なんじゃないかと思えてきて。

■フィッツジェラルドのエッセイからの引用だよね。

高 そうです。タイトルを考えていたら、ふと、昔、読んだことを思い出して。何かいいなと。

■言葉の響きが?

高 "My Lost City"……わたしの失われし都市。その、"わたしの"という部分がしっくりきたんです。本当の都市ではなく、各々の都市っていうか。だから、まずは響きですね。原作の内容自体も、僕たちのアルバムと繋がっていなくはないと思うんですが。

■アルバム『My Lost City』のジャケットのために鈴木竜一朗(注3)君が撮った写真は、水没した街をイメージさせるけど、ワンマンの時点で、VJで水上から映した街の映像を流していたし、惣田紗希(注4)さんが手掛けたフライヤーも、ceroが船の上で歌っているものだったよね。

高 そうなんです。だから、"My Lost City"っていうコンセプトは、意識はしていなかったけれど、アルバムをつくる前から始まっていたんだと思う。

荒 さらに遡ると、2009年にやった、鈴木慶一さんとのツーマンのタイトルが<Contemporary Tokyo Cruise>だったんです(注5)。だから、実は、ワンマンのタイトルは2回目。それで、慶一さんとの時は、冒頭、アーサー・ライマン版の<Stranger In Paradise>のカヴァーに被せて、高城君に街が水没している光景を描写する詩を読んでもらった。

高 そういえば、そうだったね。

荒 その時は単に場面設定というか、あまり深くは考えていなかったんですけど、"水没した都市"というテーマは漠然とあって。

高 やっぱり、無意識下でずっと引きずっていたテーマだったんだね。

■では、実際にアルバムの制作に着手したのは?

橋 今年の3月くらいですかね。

■その時には、収録する曲は決まっていた?

荒 ほぼ、決まっていましたね。<マイ・ロスト・シティー>――コンセプトではなく、曲としての――と、最後の<わたしのすがた>はまだ出来ていませんでしたけど。

高 ほとんどの曲は、ファーストの『WORLD RECORD』の後につくって、ライヴでやり続けてきた曲で、ただ、<roof>なんかは、ceroが3人だった頃(注6)からのレパートリーですね。

■ちなみに、楽曲のクレジットは?

高 あらぴー(荒内)が書いたのが、<マウンテン・マウンテン>と<Contemporary Tokyo Cruise>と<さん!>。

荒 他は高城くんですね。

高 あと、<マウンテン・マウンテン>の歌詞だけ、DJミステイク(注7)。

荒 はしもっちゃん(橋本)は今回もばっちり、ミックスをやってくれて。

橋 実は今また微妙にやり直したりしているんですけど……。(9月上旬時点)

■こだわり過ぎて、ほとんどノイローゼになってるって噂で聞いたよ。だから、今日は無口なの?

橋 はは……(力なく笑う)。

■雨が降って、洪水になって、街が呑み込まれて、その上でパーティが始まって……みたいなストーリーをアルバムを通してつくり上げよう、ということは最初から考えていた?

高 僕にとっては、物語を考えることがいちばんのインスピレーションなんです。小学校の頃から、ずっと物語を書きたいと思っていて、マンガを描いてみたり、小説を書いてみたり……でも、書ききれたことがほとんどなくて。そこで、曲っていう小さな単位を連ねる方法だったら出来るんじゃないかって、『WORLD RECORD』の時に気付いた。これが、僕の手に収まる物語のつくり方なんだって。

荒 今回の方がさらに凝ってるよね。

高 最近は、僕のつくる物語とあらぴーのつくる物語を混ぜるのが面白くて、より広がりが出てきているような気がします。

■そういえば、『WORLD RECORD』でも、<21世紀の日照りに雨が降る>や<大停電の夜に>みたいに、災害について歌っていた。

高 自分は、昔から、誰もが共感出来るラヴ・ソングのようなものは存在しないと思っていて、それよりは、「雨、よく降るね」とか「昨日、地震あったね」みたいな話の方が共有度は高いじゃないですか。別に共感出来るからいいってわけじゃないんですけど、恋愛云々の曲よりも、天気の曲を書いた方が面白いなぁというのは、大学生ぐらいから考えていたことですね。それを押し進めていったら、このアルバムのようなことになってしまったという。

■以前のceroには"エキゾ"というテーマがあって、それは、平穏で退屈な"いま、ここ"から、危険で魅惑的な"いつか、どこか"にワープしたいという願望だったと思うんだけど、ただ、そのあとで、3.11が起こって……言わば、ceroが夢想していた"大停電の夜に"のような状況が現実になってしまったわけじゃない。

高 そうなんです。去年の地震の直後、多くの方が「計画停電の時に<大停電の夜に>を聴いた」ってツイートしているのをみて、不思議な感覚を憶えました。本(秀康)さんに描いてもらったジャケを見直しても、妙に暗示的だし。

■夜のひと気のない街を少年が彷徨っているという。

高 それで、瓦礫の中には電気を吸い取っている怪物みたいものが潜んでいて……。しかも、その時点で、このアルバムに入れる曲は半分くらい出来ていましたし、中でも<大洪水時代>はタイトルがタイトルだから、どうしようか悩みました。

荒 「タイトルを変えようか」って話もしたよね。

■3.11以降で解釈が変わったといえば、3月の後半、名古屋と京都のライヴ(注8)に付いていったとき、『WORLD RECORD』の楽曲がまったく違って聴こえたのに驚いて。その頃、演奏している方としてはどうだった?

高 特に印象に残っているのがーー3月14日にライヴをブッキングされていたんですよ(注9)。まだ、電車も動いていないし、放射能に対する不安が高まっていた頃で。その時に、僕が「<大洪水時代>をあえてやろう」って言ったんですね。「今こそやるべきだよ」、みたいな。歌詞の内容は確かに危なっかしいものの、上を向いている曲だし。でも、シラちゃん(MC.sirafu)(注10)に「いや、やるべきじゃないよ」って言われて、ハッとした。結局、その日のライヴは、メンバーで話し合った末に泣く泣くキャンセルするに至ったんですけど、自分にとってはパラレル・ワールドというか、現実離れした世界を歌っているつもりだったのに、いつの間にかそれに呑みこまれちゃっていたんだなって思ったのをよく覚えていますね。

■それでも、<大洪水時代>をこのアルバムに収録したのはどうして?


高 徐々に、図らずも現実とリンクしてしまった楽曲達を、何とかして享楽的なものにっていうか、ユーモアのあるものに昇華出来たら最高だなぁっていう風に考えるようになっていったんです。その辺りから、『My Lost City』は形を帯び始めたのかもしれない。

■例えば、カクバリズムのスタッフは角張が仙台市、藤田塁くんが気仙沼市の出身でしょう。「被災地のひとが聴いたらどんな風に思うだろうか」ということは考えたりした?

高 それは今でも悩んでいて、果たしてこれが正解だったのかどうかは分からない。

荒 回避も出来たかもしれない。ただ、磯部さんの本(注11)のテーマじゃないですけど、自主規制をかけるようなことはしたくなかったんです(注12)。

高 そうだね。そういう意味では傲慢に、というか、音楽のことだけを考えて制作を進めていったようなところはなくもない。ただ、<大洪水時代>はもともと、ヤナ(柳)を引き止めるための曲だったんですよ。『WORLD RECORD』を出して、バンドが今までと違う段階に入って、あいつがちょっとそれについて行けてなさそうだなっていうのは感じていて。そこで、何とかテンションを上げようと……確かに最初は小旅行のつもりだったけど、もう船は出ちゃってるし、後戻りは出来ないよ、さあ、行こうぜ! みたいに煽るつもりで、「旅に出ましょう 今こそ。 その時/全て捨て置いて/お別れの挨拶どころか/まだ何も始まっちゃいないぜ」っていう歌詞を書いた。だから、本来はポジティヴな曲だし、つくった時の気持ちをレコーディングでそのまま具現化していけば、被災者のひとに聴いてもらっても恥ずかしくない曲になるはずだって思ったんです。

■<roof>の「街と街のあいだに/電車が走っている/家のなかには 人々が/それぞれの灯りを点けて暮らしてる/それで一日は/朝と昼と夜があって/読みすすめなくても 進んでいくと思ってた/だけど/ぼく、間違っていた」という歌詞は、それこそ、震災後に書かれたとしか思えないけど……。

荒 さっきも言ったように、20歳ぐらいからやっている曲ですからね。

高 確かに不思議でした。さっきの、<大停電の夜に>にしても、<大洪水時代>にしても、3.11以降に聴くと、半ば予言めいて感じられる曲が多くて、我ながら気味が悪くて。でも、その時、村上春樹が「海辺のカフカ」で「想像の世界に於いても、人は責任を負わなければならない」(注13)というようなことを書いていたなって、頭を過ったんです。それで、今までは、想像の世界というか、パラレル・ワールドというか、何をしたっていい自分の箱庭の中で、街が水に呑み込まれて、大変なことになっている様子を楽しんでいたわけですけど、それに対して責任を負わなきゃと。しかも、そこでやるべきなのは、安易に歌詞を変えるのではなくて、楽曲はそのままで、ポジティヴな表現に結実させるということだと考えたんですね。

■一方で、<マイ・ロスト・シティー>の歌詞は震災後に書かれたわけだけど、"水蒸気爆発"という単語も出てくるし、明らかに現実を意識している。

高 これはちょっと言葉で説明するのは難しいな……。歌詞にある、「享楽と空白のワイルドサイドへようこそ」っていうのは、原発の20Km圏内から人がいなくなって、木や草が生い茂って、家畜が逃げて走り回っているのをTVで観て。勿論、最悪な事態なんですけど、その光景を動物の目線から描いたらどうなんだろうと。

■しかも、その場所は、ここ(東京・阿佐ヶ谷)からたった200Kmしか離れていない場所に、実際にあると。つまり、『My Lost City』で描かれている物語は、"いま、ここ"と無関係な"いつか、どこか"などではなく、"いま、ここ"を浸食する、"いま、そこ"なのかもしれないよね。

高 官邸前のデモに行った時も、何故か、"My Lost City"っていう言葉が頭に浮かんできたんです。いま、皆で街を破壊している状況なのかなって。すごく抽象的なんですけど、街っていうか構造っていうか……いや、破壊じゃないな、そう、"Vanish"(消失)。同時に、これまで街を覆い隠していたものの下からグングン押し上げてくるエネルギーを感じて。そして、現在において、"シティ・ポップ"と言うのならば、そのことこそ、歌わなきゃいけないんじゃないのかと思ったんです。

…続く

 
     
 

注1 村上春樹訳「マイ・ロスト・シティー」より
F・スコット・フィッツジェラルドの1932年のエッセイ、「My Lost City」は、日本では、村上春樹が1980年に手掛けた、初の翻訳作品として有名で、ceroの楽曲の<マイ・ロスト・シティー>という表記も同版に依っている。他の版としては常盤新平訳の「都市生活者」、田栗美奈子訳の「わが失われし街」等がある。

注2 柳智之
新進気鋭のイラストレーターである彼は、村上龍の2010年の単行本『歌うクジラ』の表紙も手掛けている。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062165953?ie=UTF8&tag=mslv-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4062165953

注3 鈴木竜一朗
写真家。メンバーと学生時代に出会って以降、ceroの写真を数多く撮影している。2008年より、静岡県御殿場市の生家でDIY・フェスティヴァル<フジサンロクフェス>を主催。http://d.hatena.ne.jp/Ryu1019/

注4 惣田紗希
イラストレーター/デザイナー。ceroのアルバムや、Tシャツ、フライヤーの他、うつくしきひかり『ST』、ザ・なつやすみバンド『TNB!』等のパッケージ・デザインも手掛けている。http://esuse.jimdo.com

注5 イベント<Contemporary Tokyo Cruise>
2009年5月5日、下北沢<mona records>で開催。出演はヘイト船長 with Mars(鈴木慶一、上野洋子、高田みち子)とcero。

注6 ceroが3人だった頃
2004年に高城、荒内、柳で結成された頃のこと。2006年にジオラマシーンとして活動していた橋本が加入。2011年に柳が脱退。

注7 DJミステイク
スッパバンド、PANICSMILE、QQQ等でベースを担当。ceroの<マウンテン・マウンテン>(作詞・DJミステイク、作曲・荒内)はもともとDJミステイク&MC.sirafu(注10)のレパートリーで、ライヴには荒内と橋本が参加していた。http://www.youtube.com/watch?v=PdHu-HFmS4w

注8 鴨田潤(イルリメ)との共同レコ発ツアー
2011年3月26日、京都<メトロ>。27日、名古屋<K.D Japon>。VIDEOTAPEMUSIC(注35)も同行。

注9 イベント<来来来世紀で会おうよ3 マンデイトーキング>
2011年3月14日、秋葉原<CLUB GOODMAN>。出演は来来来チーム、スカート、cero。

注10 MC.sirafu
<うつくしきひかり>、<ザ・なつやすみバンド>、<片想い>(注34)のメンバーでもあるマルチ・プレイヤー。ceroでは"特殊サポーター"としてスティール・パンやトランペットを担当。

注11 磯部涼編著『踊ってはいけない国、日本』(河出書房新社刊)
昨今、問題になっているクラブと風営法の関わりを始めとして、規制が過剰化している傾向をテーマにした本だが、原因は権力の横暴というよりは、むしろ、市民側の要請であることを複数人が語っている。 http://www.amazon.co.jp/踊ってはいけない国、日本-風営法問題と過剰規制される社会-磯部-涼/dp/430924601X

注12 ceroは、このパートの回答を振り返って、「当時、上手く答える事が出来なかったのだが、後日、別のインタヴューを受けた際に応えが出た」と語る。以下にそれを引用。「大林宣彦監督の『この空の花』っていう映画を観てすげー感動したんです。花火と爆弾の近似性みたいな話をしていて。打ち上げるか落とすかの違いで、構造も近いけど似て非なるものっていう。で、うまく説明できてるか分からないですけど、自分たちは花火を作ったんだと」「地震を爆弾と捉えていいのかわからないですけど。三尺玉が打ちあがって喜んでいる人もいるけど、空襲を体験しているお婆さんとかはいまだに怖くて花火を見られない。そういう人もいると。このアルバムもそういうふうな聴かれ方をするかもしれないなって怯えたりもするんですけど、花火を作る人はそんなこと言ってられずに毎年作るわけで。感じ方はそれぞれですけど、自分たちはそういう感じで、ひとつ花火を作り上げたという」( http://www.cdjournal.com/main/cdjpush/cero/1000000785 より、高城の発言。インタヴュー/構成は南波一海)。

注13 『海辺のカフカ』からの引用
該当箇所は以下だと思われる。「すべては想像力の問題なのだ。僕らの責任は想像力の中から始まる。イェーツが書いている。In dreams begin the responsibilities」(2002年、村上春樹『海辺のカフカ』より)。正確には、最後の英字のセンテンスは、アイルランドの詩人、ウィリアム・バトラー・イェーツによる「Responsibilities(責任)」(1914年)からの引用。ただし、村上はこの詩を、アメリカの詩人、デルモア・シュウォーツが、同センテンスをタイトルに掲げた短編「In Dreams Begin Responsibilities」(1938年)で知ったと思われる(日本語訳としては、畑中佳樹による「夢で責任が始まる」が、村上も参加した88年のアンソロジー『and Other Stories』に収められている)。U2<Acrobat>(1991年)の歌詞にある「In Dreams Begin Responsibilities」というラインもシュウォーツからの孫引きだろう。彼がロックの歌詞に与えた影響は大きく、ceroが<マイ・ロスト・シティー>と<cloud nine>で<Walk on the Wild Side>(1972年)を引用したルー・リードも、大学時代、シュウォーツから詩作を学んでいる。

 
     




 

〜後編〜
 <マイ・ロスト・シティー>の後半、「ダンスをとめるな!」というフレーズが復唱される。それが直接的に意味している訳ではないが、昨年、3.11と同じように、この国の構造の破綻を露呈させた事例に、関西で起こった、クラブの一斉摘発があって、対する抗議として、風営法の改正を求める署名運動<Let's Dance>(注14)が立ち上がったことは記憶に新しい。詳しくは、荒内が先に挙げた拙編著『踊ってはいけない国、日本』を参照してもらうとして、件の騒動から見えてきたのは、コミュニティが弱体化し、市民が問題を包摂出来なくなっているからこそ、権力が暴走してしまうという実態だった(注15)。つまり、"わたしたちのまち"等というものは、もはや、存在しないのだ。そして、アルバム『My Lost City』のレコーディングがまさに行われていた今年6月、筆者が、京都の<Let's DANCE>のイベント(注16)に出た際、泊めてもらったのが、同作のサウンド・エンジニア、得能直也(注17)の自宅で、そこは、ブックレットに<33 row studio>という名前でクレジットされたスタジオでもある。彼は現在、ceroのライヴ・PAも務めていて、両者が初めて組んだのは、前述した昨年3月26日の京都<メトロ>でのライヴ。当時、得能は、地震直後で先行きが見えない東京から、京都の恋人の下へと避難し、新天地での活動を模索しているところだった。それから1年が経ち、彼は、その、古い長屋を改装した、過去と現代が入り交じる心地良い空間で、『My Lost City』のマスタリングを行ったのだ。前作『WORLD RECORD』は、<roji>や、区民センターの音楽室、廃校といった、東京の様々な場所で録音されている。言わば、彼等は、"わたしたちのまち"が崩壊し、各地に散らばった欠片を星座のように繋ぐことで、新たな"わたしのまち"をつくり上げた。その試みは本作にも受け継がれ、地図は京都にまで広がっている。ceroの想像の世界は、確かに現実の世界に影響されているが、彼等はまた、想像の世界を現実の世界に返すことで、自分たちの生活をリデザインするのだ。


■『WORLD RECORD』以降の変化という点では、トクちゃん(得能)と出会ったことが大きいと思うんだけど。

高 そうそう。

荒 巡り合わせというか、不思議なものですよね。

■昨年3月26日の京都<メトロ>以降、彼とやり続けている理由は?

高 やっぱり、人間的なところが大きいです。年齢は少し離れているから、先輩なんですけど、<FUJI ROCK>でも普通に同じ部屋で寝ているし、一緒に遊んでくれるし、そういう、気兼ねなく付き合える一方で、音に関しては非常に頼りになる。あとは、クラブ・ミュージックを教えてくれる存在としても大きかったですね。

■『My Lost City』には、いわゆるクラブ・ミュージックっぽいアレンジは施されていないけど、影響を受けたとしたらどういうところだろう?

荒 確かに音源としてのクラブ・ミュージックっぽさは、サンプリングや打ち込みが表立って使われている点から言うと、『WORLD RECORD』の方が顕著かもしれない。ただ、トクちゃんにPAをやってもらうようになってからは、ライヴでの曲の繋ぎ方や低音の出し方で影響を受けて。『My Lost City』は、ライヴのレパートリーをまとめたアルバムなんで、ライヴを経てフィードバックされているところはあると思う。

■そういえば、ジェイムス・ブレイク(注18)を気に入っていたよね。

高 ライヴにも行ったんですけど、あの、フィジカルに受ける音像は、文字通り衝撃でしたね。以前はライヴで音が大きいバンドに、何か悪いイメージみたいなものがあったんですよ。

■それは、いわゆるロック的な出音というか。

高 そうそう、でも、ロック的ではない、クラブ・ミュージック的な音の大きさって凄く面白いと思うようになって。それを自分達のライヴにも取り入れらないか、試行錯誤しました。

橋 レコーディングに関して言うと、トクちゃんと初めて作業をしたのは<武蔵野クルーズエキゾチカ>の7インチ(注19)で、あの時、結構、ガッツリ、低音を出してもらって。あれは、それまでなかった感じで新鮮でした。

■他に、『My Lost City』をつくる上で参照した音源は?


高 僕とあらぴーは、はしもっちゃんに参考音源を色々と聴かせたんですね。この曲はこういう感じ、みたいに抽象的なイメージを伝えるため。個人的には<ZE>に(注20)ハマって。アヴァンギャルドなんだけど、四つ打ちを入れることで無理やり踊らせちゃうところとか、ダンス・ミュージックっていうものはジャンルに縛られないんだなって、刺激を受けた。

荒 僕は何だろう、前から好きだったんですけど、トーキング・ヘッズ(注21)を聴き直したりしていて。そうしたら、高城くんがはまっていた<ZE>関連作品も同じようにコンパス・ポイント・スタジオ(注22)で録音されているのを知って、クロスする瞬間があったんです。それで、高城君と「次のアルバムはこの感じだね」なんて話をしていました。……あとは、フライング・ロータス(注23)とか、デイデラス(注24)とか。『My Lost City』の音とは直接、関係ないように思われるかもしれないけど。

■ああ、フライング・ロータスやデイデラスは分かるな。彼等もアルバムでストーリーをつくるタイプだよね。

高 <わたしのすがた>の間奏の倍になるところは「フライング・ロータスみたいにしたい」って言ってたかな。あらぴーも打ち込みがより上手になって、作業が面白そうだったね。

荒 今回からLogic(注25)を導入したし。

■アルバムをつくるにあたって、まずは皆でMacを買ったって聞いたけど。

橋 そうですね。予算を出してもらって。

荒 いや、おれは自分で買ったよ(笑)。

橋 あ、メンバー内格差が(笑)。

高 トクちゃんにここ(<roji>)で講習会をやってもらったりしたよね。僕は相変わらずMTRですけど。

■Logicのせいで橋本君はミックス地獄にはまってしまったわけだ。

橋 そうですね。『WORLD RECORD』は割と長い期間をかけてやれたんで、流石にもういじるところはないかなって感じだったんですけど、今回はまだ、あの部分はどうだったっけなとか気になっちゃって。それがずっと続いているという。だから、こういう風にインタビューを受けていると、あぁ本当に終わったんだなって……。

■ホッとする?

橋 いや、まだ客観的になっていないので、聴くのが恐いです(笑)。

■『WORLD RECORD』には、それぞれの部屋を始め、東京の様々な場所で録音されたものをコラージュした、架空の"東京の演奏"(注26)といった趣があったけど、今回の制作環境は?

高 そんなに変わらないと言えば変わらないよね。

荒 楽器の音だけ、スタジオでトクちゃんに録ってもらいましたけど。

高 細々したものは相変わらず家で録ったしね。

荒 それで、はしもっちゃんにファイル送って。

高 でも、今回は最後のツメで合宿をしました。

■それは、ミックスのために?

高 そうです。

■じゃあ、橋本君とトクちゃんしかやることないじゃん。

荒 いやいや、メールで「ここの音を上げて下さい」とかやり取りしていたのが結構な手間で。だから、直接、言って作業出来たのは大きかったですね。

高 でも、やっぱり、僕らはやることがそんなにないんで、違う部屋で特典(注27)をつくったり。

橋 そうかと思うと、トクちゃんがご飯をつくったり。

高 何だかんだ言って、あだち君(注28)がその場を仕切ってたよね(笑)。

■橋本君のミックスの成長振りは例えば<船上パーティ>を聴くとよく分かる。

橋 あれは苦労しました。

■ちゃんと、音だけで物語を立ち上げているよね。

高 『読むWORLD RECORD』(注29)や、ワンマンの特典(注30)のためにラジオ・ドラマをつくったことで勉強になったっていうのもありますね。

■橋本君が作業の上で気を付けたことは?

橋 僕はもう、2人(高城、荒内)に明確にやりたいことがあるんだなっていうのが分かっていたので、指示に忠実にやりました。あと、今回、曲が凄くポップでメロディアスなものが多いので、それが引き立つように。その上で、自分でアレンジしたいところはやらせてもらったって感じですかね。

■思ったのは、今回、コーラスのアレンジが洗練されたなって。

高 それも、はしもっちゃんの功績ですね。

■頭からいきなりア・カペラだし。

高 あぁ、<水平線のバラード>。

橋 あれは高城くんがひとりでつくった多重録音だよね。

高 何ていうか、たゆたうような始まり方がいいなと思って。もともとは自分のソロの曲なんですけど、アルバムの世界観にはまるなと。参考音源には、大瀧詠一の<おもい>(注31)を上げました。

荒 あと、<cloud nine>とか<contemporary tokyo cruise>とか<さん!>に使った合唱の素材は、<roji>で録るからってtwitterで参加者を募集したら、50人くらい来てくれたんで、ずらーっと並んでもらって、カウンターの中にマイクを立てて、「じゃあ、お願いしまーす」って指揮して。

■『WORLD RECORD』の時は、表現(注32)と合同で合唱の録音をしてたけど……。

高 そうそう。小島小学校っていう廃校の教室で。あれもあのアルバムを象徴する感じで面白かった。

■今回、<roji>にお客さんも含めて集まってもらって録るっていうアイデアには何か意味が込められているの?

高 まずは人数が欲しいっていうのが第一なんですけど、やってみて思ったのは、交友関係が広がったなぁって。知らない人がいっぱいいて、でも、その人たちがceroの曲のことをちゃんと理解して歌ってくれていて。それで、その後、またここに呑みに来て、「合唱のことを思い出すと泣きそうになるんですよ」とか「参加出来て良かったです」って言ってくれたり。そういう風に、一緒につくれた感じはありますね。

■前回のインタヴュー(注33)では、表現を始めとした、ceroの周りにあるシーンのようなものにも触れたけど、あの頃は、小さなサークルだったのが、今や、片想い(注34)のライヴは毎回、売り切れるし、VIDEOTAPEMUSIC(注35)のアルバムは好評だし、その輪が大きくなってきていると思うんだよね。そんな中で、ceroに変化はある?

高 良い意味で変わらないかな。僕もいまだにほぼ毎日、<roji>で働いているし、そのスタンスを維持出来ているのは嬉しい。"内輪"が広まってるっていうか。角張さんには「もっとカリスマ性を持て」って言われますけど(笑)。まぁ、そうだよなぁと思いつつ、近所の兄ちゃん的な感じもキープし続けられたら最高なんだけどなぁって。<roji> に行けば、いつでも会えるみたいな。

■AKBの会いに行けるアイドルならぬ、会いに行けるバンド。

高 ははは。いや、真面目な話、それも新しい形なんじゃないかなって思うんです。
荒 うんうん。

■シーンの話でいうと、『My Lost City』は、以前から関係が深かったMC.sirafuとあだち麗三郎を"特殊サポーター"として迎えて以降の作品になる訳だけど、彼等とのパートナー・シップは順調?

高 いや、最高ですよ(笑)。もう、ほとんどメンバーみたいな感じで、練習の時もがんがん言ってくれるし。

荒 彼等も音楽の先輩で、信頼しているから、意見を求めることも多いですね。

高 片想いも盛り上がっているし、あだち麗三郎クワルテットにはあらぴーが関わっているし、刺激を受けますよ。

■柳くんは抜けちゃったけど、今のceroは安定してそうだね。

高 そうですね。ヤナにも、『My Lost City』のブックレットに作品を提供してもらっていて。彼は絵という自分の好きな道に進んだわけですけど、依然、そういう形で関わってもらえるのは嬉しいですね。『My Lost City』も凄い褒めてくれて。実は、<わたしのすがた>の「あるはずない みたことない/誰もしらない パワレルワールド」っていう歌詞は、<contemporary tokyo cruise>のデモ版でヤナにやってもらったフリースタイル・ラップの一節から取ったんですよ。もとは、「あるはずない みたことない/誰もしらない パラダイス」で、なかなか、いいこと歌ってんなぁって。

荒 まぁ、ヤナの元ネタはShing02(注36)なんだけど。

高 ああいう風に、大人しいように見えて、突然、ラップし出すところとかも含めて面白い奴です(笑)。

 

<わたしのすがた>というタイトルは、飴屋法水(注37)の作品からの引用である。2010年10月、舞台芸術を集めたイベント『フェスティバル/トーキョー10』に出典された同作が"舞台"としていたのは、実際の街。まず、観客は出発地点で、地図を手渡され、それをもとに幾つかの廃墟を巡っていく。そこには、当然、演者=住人は存在せず、しかし、かつていたであろう誰かの気配は濃厚に漂っている。やがて、観客は、この奇妙な小旅行を続けるうちに、舞台=街が変質していく様子を観ただろう。帰り道、駅までの長く暗い歩道を歩きながら体験した、あの、何の変哲もない風景が恐ろしく思えるような、街と自分が乖離したような感覚がいまだに忘れられない。それについて、高城は「ついに自分が箱に入ってしまった感覚」と書いている(注38)。これは、箱に入った飴屋自身が展示された、05年の<バ  ング  ント展>と比較しての評で、あるいは、私達は、現代社会が外部に追いやった、魔術的なものを突き付けられることで、この街の虚構性を改めて認識したのかもしれない。そして、件の感覚を思い出したのが、原発事故の後、ガイガーカウンターを持って街を歩いた時だった。何というか、"わたしのまち"が失われてしまったような。3.11にインスパイアされた『My Lost City』が<わたしのすがた>で終わるのはそういうことなのだろう。

■エンディングの<わたしのすがた>に漂う妙な居心地の悪さみたいな感覚がこのアルバムに複雑さをもたらしていると思うんだけど。

高 『My Lost City』は、1曲目を入り口として、パラレル・ワールド的な世界観を歌っているわけですけど、最後だけ現実的な視点で、「夢だったのかなぁ」「いや、やっぱり、こことあそこは繋がっているのかも」って思わせるような曲をつくろうって考えたんですね。

■『WORLD RECORD』のラスト、<小旅行>のみたいな粋なエンディングともまた違うよね。

高 そうかもしれない。大団円ということならば、このアルバムも<さん!>で終わらせられるところを、あえて、少し曲間をとって、ボーナス・トラックみたいに付け加えたんです。普通には終わらせないっていうか、違和感っていうか、引っかかりをつくることによって、「何だったんだろう、もう1回、聴いてみよう」ってなったら面白いかなと。

橋 ゲームっぽい流れのアルバムだと思うんですよね。<わたしのすがた>は裏面みたいな。

■あるいは、ゲームを終えて画面が真っ暗になったらそこに写っている自分の顔と目があった、みたいなね。

高 あぁ、そういう感じありますね。

■そして、やっぱり、「シティポップが鳴らす空虚、フィクションの在り方を変えてもいいだろ?」ってラインが気になるんだけど。

高 まず、『WORLD RECORD』を出したあとに、「現代のシティ・ポップ」みたいに言われることが多くなったんですね。ただ、自分たちとしてはあまりピンとこないっていうか。

■いわゆる"シティ・ポップ"って、クロスオーヴァーとか、アダルト/ブラック・コンテンポラリーを翻訳したものだったと思うけど、ceroの音楽性はそうじゃないもんね。

荒 そうなんですよ。個人的にも、シティ・ポップってあまり聴いてこなかったし。

橋 意外だったよね、そう言われたのは。

高 それで、ピンとこないなりに、「じゃあ、何で言われるんだろう」「そもそも、シティ・ポップって何なんだろう」って考えた時に、思い浮かんだのが"享楽"っていう言葉だったんです。

■享楽?

高 さっきも話に出たように、<マイ・ロスト・シティー>では、「享楽と空白のワイルドサイドにようこそ」って歌っていますし、<船上パーティー>にしても、雨が降って海になって都市が下に沈んでいるのに、助かった奴らが船の上でバカ騒ぎしている。ただ、それを良しとするアルバムでもあるような気がしていて、テーマ……というほど、ど真ん中に据えるものではないんですけど、つくる上で、何となく"享楽"という言葉を意識したんです。

■なるほど。

高 享楽こそが都市っていうもののいちばんの根源というか。それこそ、シティ・ポップと言われてるものって享楽的な世界観だと思うんですよ。そして、自分の中で、"空虚"は、"享楽"と裏表で。都市の良い部分にばかりスポットを当てて、地方の人が聴いたら「東京は楽しそうだなぁ、夜も煌びやかなんだろうなぁ」って思わせるのがシティ・ポップ。でも、実は井上陽水の<傘がない>(注39)の<都会では自殺する若者が増えている>っていうのももう一方の現実で。"都市の音楽"という意味では、両方、シティ・ポップなんだけど、前者の享楽性をまた違う形で表現してみたいなっていうのは何となく心の隅にありましたね。
荒 要するに、シティ・ポップってパラレル・ワールドっていうことですよね。そう考えると、ceroがシティ・ポップと言われるのも何となく分かる。

高 でも、さっき話に出たように、僕らは都市のことを歌っているけど、それは、都市における恋愛についてではなくて、都市における天気のことなんかを歌っていて、例えば、ゲリラ豪雨とか、都市にいながらにして、凄く野生を感じるじゃないですか。

■自然は都市の外部であり、ゲリラ豪雨や、それこそ、地震なんかは、都市が隠蔽している虚構性や脆弱性を暴くよね。

高 僕の中の都市観には、ひとつの軸があって、それは、大学の時に好きだった相川先生(注40)の授業で教えてもらった、「仏教は最初の都市型宗教だ」ということなんです。それまで、長い教典を読まなきゃいけなかったのが、<南無阿弥陀仏>って短いコピーライトで済ましちゃおう、皆、都市の生活で忙しいから、それをボソって呟けばオッケーってことにしようと。意外と神秘性とかなくて、実用的な考え方でいこうよっていうのが釈迦が編み出した仏教の世界らしくて。むしろ、都市を魔術的なものから切り離して、遊離させたのが仏教だと。そこから、自然とか訳分からないし、夜とか暗いし、それを隠して、明るくして暮らしていこうぜという感じで、今の都市が出来上がっていったんじゃないか。

橋 当時の<南無阿弥陀仏>が、現代の電気ってこと?

高 まぁ、言ってみりゃそういうことだよね。でも、結局、都市っていうのは残っていくものじゃなくて、最終的には負けるんですよね。一瞬、パッと華やかに存在して、消えていくものなんだと思う。だからこそ、享楽的になるし。何というか、そういう観点で"シティ・ポップ"をやれたら、自分たち特有の音楽になるんじゃないかなって。

■『My Lost City』は、都市というパラレル・ワールドの享楽を楽しみながら、その、虚構性を暴いているのかもしれないね。

高 シティ・ポップって一聴するとスムースで気持ち良いけど、「実際はそんなことないよ」ってひっくり返しちゃうというか。「これが本当のシティ・ポップだろ」って突き付けるというか。いや、そこまで、強気じゃないか(笑)。「これが本当のシティ・ポップなのかもしれない……」って考え込むようなエンディングですから。

■<わたしのすがた>が最後に入っていることで、このアルバムが裏に隠し持っているヘヴィーさに気付けるんじゃないかな。

高 そうですよね。『WORLD RECORD』を聴いて、「緩くて良いバンドだね」とか言ってた人はどう感じるんだろう。

荒 でも、一枚のアルバムとして楽しんでもらえるんじゃないかな。

高 うんうん。単に重いアルバムではないよね。踊れる曲がたくさん入っているし。

橋 そう、これからどうなるかは分からないけど、ポジティヴな作品にはしたかったんです。



海がでてくる夢をみていた

あるはずない みたことない 誰もしらない
パラレルワールド

cero<わたしのすがた>より

 
     
 

注14 <Let's Dance>
以下のホームページを参照のこと。 http://www.letsdance.jp

注15 松沢呉一による、以下の記事も参考になる。 http://wpb.shueisha.co.jp/2012/10/24/14910/

注16 <Let's DANCE~ダンス規制法を考えるつどい>
2012年6月6日、風営法違反によりリニューアルを余儀なくされた京都<ワールド>にて開催。当時の模様は以下を参照のこと。 http://www.ameet.jp/feature/feature_20120629-2/

注17 得能直也
ceroの他、PEPE CALIFORNIA、(((さらうんど)))、LUVRAW & BTB等のレコーディング/ライヴ・PAも務める。

注18 ジェイムス・ブレイク
2011年のファースト・アルバム『ジェイムス・ブレイク』が話題になった、"ダブ・ステップ"ミーツ"シンガー・ソングライター"なトラックメーカー。

注19 7インチ『武蔵野クルーズエキゾチカ』
2011年10月に<カクバリズム>よりリリース。B面は<good life>。『My Lost City』の後に聴き返すと、これはモラトリアムだったんだなと思えて妙にせつなくなるような2曲。

注20 <ZE>
ノー・ウェーヴを、ディスコ、そして、エキゾと融合させることで音楽的に展開させたニューヨークのレーベル。

注21 トーキング・ヘッズ
『WORLD RECORD』収録、<21世紀の日照りの都に雨が降る>では、<ディス・マスト・ビー・ザ・プレイス(ナイーヴ・メロディ)>が引用されていたりと、ceroは、このバンドがアフロ・ビートを取り入れた中期以降に強い影響を受けている。

注22 コンパス・ポイント・スタジオ
トーキング・ヘッズの『リメイン・イン・ライト』を始め、数多くのエキゾ・ポップの名盤を生んだ、バハマのスタジオ。安田謙一による論考とディスクガイド「コンパスが指す場所の音楽~コンパス・ポイント・スタジオ」が収録された『音盤時代Vol.0~南国気分』はceroファン必読。 http://www.amazon.co.jp/音盤時代VOL-0-浜田淳/dp/4925064401

注23 フライング・ロータス 
ジョン・コルトレーンの甥でもある、"ダブ・ステップ"ミーツ"フリー・ジャズ"なトラックメーカー。

注24 デイデラス
フライング・ロータスのレーベル<ブレインフィーダー>からもリリースするトラックメーカー。

注25 Logic
音楽制作ソフト。

注26 東京の演奏
ceroと関係が深い、糸賀こず恵が主催するイベント。2009年に販売されたコンピレーション『東京の演奏』には、ceroやジオラマシーンの音源も収録されている。 http://ensou2.blogspot.jp

注27 『My Lost City』の特典CD-R
アルバム未収録の<あとがきにかえて>は、<わたしのすがた>がリラックスしたような、メロウなブレイクビーツ。

注28 あだち麗三郎
MC.sirafuと同じく、東京のインディ・シーンに欠かせないマルチ・プレイヤー。ceroでは柳脱退後に"特殊サポーター"としてドラムを担当。自身のバンド、あだち麗三郎クワルテットのファースト・アルバムも完成間近。

注29 『読むWORLD RECORD』
『WORLD RECORD』発表時に販売されたZINE。特典としてラジオ・ドラマ<DRIVE ON THE WORLD RECORD>をダウンロード出来る。橋本による制作回顧録や、使用機材一覧も掲載。表紙は西村ツチカ。 http://kakubarhythm.shop-pro.jp/?pid=30880850

注30 2011年12月25日、渋谷<WWW>で行われたワンマン・ライヴの特典CD-R
エンディングには<Contemporary Tokyo Cruise>のデモ・ヴァージョンを収録。

注31 大瀧詠一<おもい>
1972年のファースト・アルバム『大瀧詠一』のオープニング・ナンバー。"10年代のシティ・ポップ"と評されることのあるceroだが、音楽的には、第一期ナイアガラや細野晴臣のトロピカル3部作といった、いわゆるシティ・ポップからは外れたものからの影響の方が強いように思われる。

注32 表現
2010年3月にリリースされた『旅人たちの祝日』に筆者は以下のコメントを寄せた。「架空の王国のための架空の国歌が現実の世界に鳴り響く時、それは我々の歌になる。――トランス・エスニック・バンド"表現(hyogen)"、セカンド・アルバム完成。これであの素晴らしい歌たちがたくさんの人々に届くことになったのを心から嬉しく思います」。 http://sound.jp/hyogen/

注33 前回のインタヴュー
『WORLD RECORD』発表時の筆者によるインタヴュー。 http://www.kakubarhythm.com/special/cero/

注34 片想い
表現と同じく、ceroの盟友と言っていいだろうバンド。本年を代表するインディ・アンセムとなった<踊る理由>に続いて、年内にもう1枚、<カクバリズム>から7インチをリリースするとのこと。 http://kataomoi.main.jp/information.html

注35 VIDEOTAPEMUSIC
リサイクル・ショップで叩き売られているVHSから、エキゾチックでセンチメンタル記憶を抽出し、ドリーミーなブレイクビーツに再構築するユニット。2012年6月にリリースされたアルバム『7泊8日』のボーナス・トラック<Blow in the Wind>では、やけのはらと高城をフィーチャー。 http://videotapemusic.tumblr.com

注36 柳のラップの元ネタ
Shing02のアルバム『緑黄色人種』(99年)収録、「誰も知らない」の歌詞「誰も知らない 知られちゃいけない Shingo02が誰なのか」より。また、その元ネタはTVアニメ版「デビルマン」(72年~73年)のエンディング・テーマ「今日もどこかでデビルマン」の歌詞「誰も知らない知られちゃいけない デビルマンが誰なのか」である。作詞は阿久悠。

注37 飴屋法水
演出家/美術家。2012年1月28日、赤坂<BLITZ>で行われた七尾旅人主催<百人組手>における、七尾とのパフォーマンスも忘れられない。 http://www.youtube.com/watch?v=-UMell3eouI&feature=player_embedded

注38 高城「ついに自分が箱に入ってしまった感覚」
https://twitter.com/takagikun/status/3748589889134592 より。

注39 井上陽水<傘がない>
72年のファースト・アルバム『断絶』に収録。10年代で言うなら、シティ・ポップ・リヴァイヴァルに対するラップのリリシズムといったところか。

注40 相川宏
日本大学藝術学部文芸学科教授。著作に『わび人の変貌』(審美社)、共著に『文化と記号』(北樹出版)、論文に「《みやび》とデカダンス」(『芸術学部紀要』第21号)、「風流と都市のセクシュアリティ」(『日本文学』第474号)、「中世の美学」(『GS』第7号)等がある。