Skirt
10th
Anniversary

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2020.12.16 On Sale

スカート 10周年記念ニューアルバム
「アナザー・ストーリー」

CD + LIVE BD 4,500yen + tax
CD 2,500yen + tax

・収録曲(両形態共通)
M1. ストーリー
M2. セブンスター
M3. 返信
M4. ともす灯 やどす灯
M5. 月の器
M6. おばけのピアノ
M7. 千のない
M8. サイダーの庭
M9. スウィッチ
M10. わるふざけ
M11. ゴウスツ
M12. さかさまとガラクタ
M13. すみか
M14. 花をもって
M15. 月光密造の夜
M16. ガール

・LIVE BD収録内容
スカート10周年記念公演「真説・月光密造の夜」

店頭特典

10周年記念メダル
※全国のCDショップにて2020年12月16日発売「アナザー・ストーリー」をご予約・ご購入のお客様に、先着で上記オリジナル特典をプレゼント。
各店舗でご用意している特典数量には限りがございますので、お早目のご予約をおすすめいたします。
※特典は数に限りがございますので、発売前でも特典プレゼントを終了する可能性がございます。
※一部取り扱いの無い店舗やウェブサイトがございます。ご予約・ご購入の際には、各店舗の店頭または各サイトの告知にて、特典の有無をご確認ください。

Amazon 予約購入 先着特典 : メガジャケ(24cm×24cm)
※Amazonにて2020年12月16日発売「アナザー・ストーリー」をご予約・ご購入のお客様に、先着でメガジャケをプレゼント。
※特典は数に限りがございますので、発売前でも特典プレゼントを終了する可能性がございます。

Special
Interview

スカート10周年
スペシャルインタビュー

アナザー・ストーリー

インタビュー by 松永良平
Interview 01
2010

 スカート『エス・オー・エス』を手に取るのは2011年だったけど、「澤部渡」「スカート」の名前はなんとなく知っていた。ぼくのやっていたブログでプレゼントしていたミックスCD-Rに澤部くんから応募があったから。彼がいまもやっているブログ「幻燈日記帳」を覗きにいった記憶がある。そのときに「スカートというバンドをやっている」とプロフィールに書いてあったのを見たのが、たぶん、最初の認識だった。(松永良平)


──ファースト・アルバム『エス・オー・エス』発売の年ですが、発売は12月なので、それまではずっと制作をしていたんですよね。

 この年の3月に大学を卒業しました。ファースト・アルバム『エス・オー・エス』を出すのがこの年の暮れの12月15日。録ってたのは2009年、2010年で、曲によってはもっと前、2008年くらいに録った曲もあるかもしれないです。大学のスタジオとかを使って作っていて、とりあえず卒業にあたってアルバムを出そうということだけ決めてました。ミュージシャンとして生きていくことを決めていたというより、本当は(卒業にあたって)P-Vineの求人とかも見てたんですけど(笑)。でも、当時はリーマンショックの余波だったのか、いくつか他の求人も見たんですけどどこも募集がなかったし、就活というものを知らなかった。音大だったし、同期も7割フリーターになる、みたいな世界でしたね。

──当時のスカートは、まだ個人ユニットとしての活動でしたよね。

 大学の後輩だった(佐藤)優介や、昆虫キッズのドラマーだった佐久間(裕太)さんなど、のちにスカートに参加するメンバーも当時から周囲にいたことはいたんですが、この時点ではまだスカートは不定形のユニットでした。優介は『エス・オー・エス』に参加してるけど、佐久間さんは参加してないし。一緒にやれたらいいなというイメージもあったかもしれないですけど、最初の時期のメンバーはプレイうんぬんよりも「友達だから」って理由で全員を誘った感じなんです。『ストーリー』を翌年に出す前くらいまでは、スカートは基本的に不定形でいいという気持ちでいましたよ。

──大学時代には一時、バンド編成で活動したこともあると聞いてます。

 それがうまくいかなくて懲りたというトラウマもあったのかも(笑)。もうこりごりでやんす、という感じ。だから、この当時はライヴはほとんどやってないですね。僕の大学の森(篤史)先生とデュオ(ギターとキーボード)では何回かやりました。

──先生とデュオ?

 森先生は「ソルフェージュ」っていう本来は聴音の授業をされていたんですけど、ぼくらに対しては変な授業をされてたんですよ。「きみたちのコース(サウンドプロデュースコース)ってソルフェージュとかたいせつじゃないでしょ? だからいろいろ音楽を聴いていきましょう。これもある意味で“聴音”だから」って話をされて。マイルスの後ろでプリンスがドラムを叩いてる映像を見たり、アース・ウィンド&ファイヤーの「After the Love Has Gone」をあらためて聴いて「この曲のうしろで何回転調しているか、みんなわかりますか?」みたいなことを聞いたり。

──昭和音大での学生生活に結構がっかりしていた澤部青年にとっては牧村憲一さんとともに大きな出会いですよね。

 森先生の授業が僕が二年生のときに始まったのは大きかったですね。本当だったら2年でやめててもおかしくなかったくらいでしたから、あの授業のおかげでなんとか気持ちがつながった感じがちょっとしてました。森先生はSPANK HAPPYとか好きだったんで、そういう話もしたり。

──でも、実際にライヴまでやるのはすごくないですか? そのときの名義は?

 スカートでした。前にやっていたバンドとしてのスカートは終わってたんで、誰がいてもスカートにしようという感じでやってましたね。森先生と一緒にやったスカートでは、2009年4月に高円寺の〈前衛派珈琲処マッチングモヲル〉っていう店で、NRQやまめッこ(藤井洋平)と対バンもしたことあります。NRQはまだ中尾(勘二)さんも入ってなかったんじゃないかな? まめッこがステージ上でずっと「まめっこ! まめっこー!」って言ってたのが印象に残ってますね。

──昆虫キッズにゲストで出てきてサックスやパーカッションを担当する人として一部で澤部くんが知られていたのもこの頃?

 最初は無茶振りだったような気がしますね。でも、やっぱり昆虫キッズとのつながりがぼくは大きかったですよ。昆虫キッズの高橋翔、熊谷耕自、岩淵弘樹、僕は豊田道倫(パラダイスガラージ)さんの大ファンで、そこから知り合ったんです。

──『エス・オー・エス』の制作に話を戻すと、録り溜めた無数の音源をアルバムにするにあたって、どういうふうに詰めていったんですか?

 最初は、在学した時の曲を全部入れた20曲入りとか30曲入りの大作を作ろうと思ってたんですよ。ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツとか、ああいうイメージのアルバムを作りたかったんですよ。とっちらかって仕方がないのが楽しいという。でも、最後のほうに「ハル」と「かぞえる」という曲ができたんです。その2曲ができたとき、とっちらかったアルバムにするのはやめようと思ったんです。いかにもアルバム然としたアルバムを作らなくちゃダメだと思ったんです。でも、結局はとっちらかったなという気もしてます。松永さんにも当時「曼荼羅」と言われました(笑)

──そんなこと言ったっけ? でも、『エス・オー・エス』には宅録ゆえのおもしろさもいろいろ詰まってました(笑)。「ハル」はできたときから1曲目になると思ってました?

 できたときはそうは思ってなかったんですけど、コンピレーションじゃないアルバムを作れる自信ができたんです。「ハル」があのなかでいちばん最後にできた曲なんじゃないかな。「かぞえる」は結局アルバムには入らず、『COMITIA 100』(2012年5月)に入りました。

──あのサイズ感にできたのは結構大きい決断でしたね。

 そう思います。あの13曲で35、6分というサイズのものが作れた喜びを当時は相当噛み締めていたと思いますよ。それから、『エス・オー・エス』の制作が終わった段階で、七針でライヴをやってますね(2010年10月7日)。優介と大学の後輩だった塩野くんと一緒に演奏しました。Hara Kazutoshiさんとか麓健一さんが対バンでしたね。

──自分のレーベル〈カチュカ・サウンズ〉で出すことにした経緯は?

 とりあえずマスタリング前に金野(篤)さんのMy Best! Recordsで『エス・オー・エス』を出してもらえないだろうかとプレゼンに持って行ったんです。金野さんと知り合ったのは2009年くらいかな。あの人も“パラガ一派”で、豊田さんのライヴで知り合ったんです。熊谷が「この人(金野)がザ・ムンズのCDを出した人だよ」って紹介してくれました。そしたら「今度はちみつぱいのボックスを出すんだ。聴いたコメントを撮らせてくれ」って言われて。それが、ぼくがしゃべってる最古の映像資料のひとつになりました。いまだにぼくがはちみつぱいを語る映像がYouTube内を放浪してますよ(笑)。

──そんな関係だったら、My Best!で出せそうなものだけど。

 金野さんには「澤部くんじゃなかったら完璧」って言われました(笑)。それで「わかった、自主でやるよ!」と決意して、バイト代を貯めて、自分でプレスしました。あ、バイト代だけじゃないな。yes, mama ok?の『CEO -10th Anniversary Deluxe Edition』が金野さんのもうひとつやっているレーベルSUPER FUJIから出ることになっていたので、そのディスク2の蔵出し音源の選定やデータ変換をしたり、ライナー書いたり、という仕事に対するギャラも合わせてプレスしたんです。  でも、自主でやろうと思ったのは、昆虫キッズがいたことが大きいです。彼らの『My Final Fantasy』(2009年3月)ってアルバムが、自分たちのレーベルでの自主流通でしたから。高橋くんがCDショップへの流通を担当してくれるBridgeの担当者を紹介してくれました。それで自分でもやれるかもしれないと思えた。それは本当に大きかったです。Bridgeにはそれから5年くらいお世話になりましたからね。

──CDの封入まで自分でやってたんですよね。

 『エス・オー・エス』から、ジャケットはイラスト、ジャケットは手折り、CDは手詰めという完全自主制作が4作続きます。当時は、まだCDが今みたいに安く作れるようになる手前だったいうのが理由にあったんです。4ページのブックレットにジュエルケース、キャラメル包装でも10万円ちょっとはかかったんじゃないかな。でも『エス・オー・エス』方式で自分でやると、8万円くらいで済んだ。
 あと、パッケージとしてはこの年に出た久下惠生さんのアルバム『THE FIST』と豊田道倫さんのアルバム『バイブル』のパッケージを参考にしました。僕も“パラガ一派”ですから(笑)。

──『エス・オー・エス』は廣中真吾さんのイラストも印象的でした。

 『エス・オー・エス』でイラストを描いてもらった廣中真悟さんとは面識があったわけではなく、pixivとかで見て、シンプルに「絵が好きだなー」と思ってたんです。廣中さんが当時やっていたブログに、毎日モノクロのイラストが上がっていて、それが本当に素晴らしくて。これはこのアルバムにぴったりだと思ってお願いしたんです。曲を聴いて思ったように描いてください、と。
 この時点で、すでに漫画家さんとの交流は始まってましたね。アルバムが出たときにコメントをもらったTAGROさんもそうだし、青木俊直さんも好きで同人誌とかをよく買っていたら青木さんも僕を気にしてくれて、みたいなつながりはありました。でも、このアルバムのときは廣中さんが『エス・オー・エス』ってアルバムのイメージにぴったりだったんです。

──そして、ようやく『エス・オー・エス』が発売に。

 発売日は12月15日。この日にした理由は、パラダイスガラージ『実験の夜、発見の朝』デラックス・エディションと、すきすきスウィッチ『忘れてもいいよ』デラックス・エディションの当初のリリース予定日だったから(その後、すきすきスウィッチは発売延期)。「おなじ日に自分もリリースしよう!」と思ったんです。そこもまた強烈なインディー魂でした(笑)。誕生日は12月6日なので、リリースの準備してるときはまだ22歳だったのに、「23歳の新鋭が」ってプレス用の資料に自分で書いた記憶があります(笑)。

(2011年に続く)

《澤部渡が選ぶ2010年の漫画と音楽》

漫画:西村ツチカ『なかよし団の冒険』

最初はツイッターか何かで誰かのリツイートで流れてきたんです。「この漫画は絶対に見逃すわけにはいかない」と思って、当時バイトしてた書店で一冊だけ入荷したのを確保しました。まさか翌年にその人とバンド(トーベヤンソン・ニューヨーク)を組むことになるとは思ってませんでしたが。

音楽:すきすきスウィッチ『忘れてもいいよ』

豊田さんに勧められたのか日記で書いていたのを見たのか忘れましたけど、聴いたのは2010年で、1月に御茶ノ水のJANISで最初の再発CDを借りました。こりゃすげえと思って、イエママの再発のときに金野さんに「すきすきスウィッチって知ってます?」って聞いたら、「え? 今度デラックス版で再発するよ」って言われたのをすごく覚えてます。それでぼくも再発盤では少しお手伝いをしました。

Interview 02
2011
Up Date! 16th Oct

──『エス・オー・エス』という名刺がわりのファースト・アルバムを手にして2011年が明けました。

 でも、自分の未来は全然見えてなかったですね。だけど、縁があってココナッツディスクで『エス・オー・エス』を扱ってくれて、吉祥寺店のブログで矢島店長が「ハル」のMVと一緒に紹介してくれたのが最初の反響としては、いちばん大きかったと思います。当時、新宿タワーレコードでも結構仕入れてくれました。『エス・オー・エス』の初回は500枚プレスしたんですけど、結局、この年の秋くらいに完売したという記憶があります。それでセカンドプレスから廣中さんにお願いして新しくジャケットを描いてもらい、サードプレスでも変えていきました。

──廣中真吾さんのイラストが、マイナーチェンジじゃなくて、まるっきり別のイラストに変わっていったのも驚きました。しかも、だんだん地味になっていくという。

 廣中さんにはたぶんなんのディレクションもしてないんです。でも、アルバムの曲を考えると(地味になっていったのは)妥当かなという気もしてます。派手なレコードではなかったので。

──とはいえ、『エス・オー・エス』には、あの頃にしかない音楽がありますけどね。

 そうですね。悔しいけど、いまでは書けないような曲も入ってる。

──たとえば、いつか全曲再現で『エス・オー・エス』をやるとか考えたります? 一曲ごとに編成も録音の仕方も違うから、逆にライブでやるとどうなるのか。

 おもしろそうだとは思いますね。「いまの5人でやってください」って話が来たらやってみたい。

──アレンジに忠実に、ということでないなら、それはおもしろくなりそう。

 とにかく『エス・オー・エス』はライヴ向きじゃなかったんです。そして、CDを売るにはライヴをしなきゃならない、というのが大きかった。それでバンドを固定化して、だんだんいまにつながるかたちになっていったのがこの年です。

──『エス・オー・エス』のレコ発は?

 震災の一週間前、3月6日に三軒茶屋のGRAPEFRUIT MOONでした。〈第二回 月光密造の夜〉をやってるんですよ。対バンは昆虫キッズ、カメラ=万年筆。カメ万はまだアルバムを出す前でしたけど、『coup d'État』(2012年2月)に入ってる「school」って曲をあの日に初めて演奏して、「わー、いい曲だなあ」と思いましたね。「bamboo boat」とかもやってた気がする。

──動員的にはどれくらい?

 『エス・オー・エス』の最初に入った売上で買ったMacBookを使って、その日の特典のCD-Rを焼いたんですけど、僕の記憶があってるなら60枚くらい焼いたので、60人は来てくれたと思います。のちに『ストーリー』のイラストを描いてもらうことになる見富拓哉さんにお願いしたフライヤーをジャケットに使ってるんです。

──見富さんと知り合った経緯は?

 見富さんとは、僕がCOMIC ZINとかで同人誌を買ってよく読んでたなかで「なんとおもしろい人なんだ」と思ってコンタクトして、親交ができた感じです。

──この頃、初めてじかに会ってますよね。O-nestだったかな。

 2011年4月のcero『WORLD RECORD』のリリパ(渋谷O-nest)ですね。カクバリズムとの接点としても、あの日が最初かもしれないですね。当時は、昆虫キッズ、シャムキャッツ、ceroがいるシーンっていう見え方があったから、僕も昆虫キッズと仲が良かった流れでみんなと知り合っていたんじゃなかったのかな。ゼキさん(大関泰幸)とも昆虫キッズつながりですでに仲良くなっていました。

──そうそう。「このふたり、つながってたんだ!」と驚いた記憶がある。

 あの夜、ライヴ後にラウンジでいろいろ話していたらゼキさんと松永さんが角張さんに推してくれて、その年の〈下北沢インディーファンクラブ〉(2011年6月26日)に出させてもらうことになりました。daisybarでしたね。懐かしい。
 あのときは優介、清水(瑶志郎)、ドラムがすきすきスウィッチの佐藤幸雄さんと絶望の友というバンドを組んでいたPOP鈴木さんの4人で出ましたね。佐久間さんは出番が昆虫キッズとバッティングしていたのかな。POPさんとは、この頃、ギターとドラムだけの編成でやったことも何度かありましたね。前野健太さん主催の〈DV Fes〉がこの年の2月にフォレストリミットで一週間くらいあって、その中の1日(2月9日)にPOPさんと二人でやらないかというオファーを受けたんです。そこから1年くらいは一緒にやってたんですよね。

──POP鈴木さんとのスカートはハードコアな感じでしたね。やってる曲はスカートなんだけど。

 そうでした。POPさんとやってるときはすきすきスウィッチや絶望の友のような異形のポップスを目指していました(笑)
 今の基本となる4人が全員揃ってライヴしたのって、この年の5月くらいじゃなかったかな。まだ僕もどういうふうにスカートとしてやっていこうか決めかねてた時期だったと思います。『ストーリー』をレコーディングすることになる南池袋ミュージック・オルグには、この年の7月30日に初めて出ました。その日は、白い汽笛、oono yuuki、柴田聡子、スカート。めちゃくちゃいいメンツでしたね! 確か、この日は唐木(元)さんがベースをひいたんですよ。

──震災(3月11日)の頃は、どうしてたんですか?

 『エス・オー・エス』を出してすぐくらいの時期に、トーベヤンソン・ニューヨークがすでに始まっていて、震災の2日後(3月13日)もスタジオ入る予定だったんです。地震があって「どうする?」ってなったときも「キャンセル料払わなくちゃいけないから、みんなで集まろっか」みたいな感じだったかな。そのときに「返信」の最初のデモをみんなに聴かせたら、「コードが難しすぎるからやれない」って言われて、結局自分でやることになりました(笑)。

──そうか、トーベヤンソン・ニューヨークもちょうど10周年くらいなんですね。それもまた感慨深い。この年の後半は『ストーリー』の制作に向かい、年末に発売、という感じですよね。

 後半には、自分のなかで大きかったライブがいくつかありました。11月に曽我部恵一さんに呼んでもらった下北沢440でのコンサート(10月20日、〈曽我部恵一 presents "shimokitazawa concert〉)。出演は、イノトモさん、直枝(政広)さん、曽我部さん。あれはマジで最高でした。あと、『ストーリー』が出る直前に、横浜の視聴室その2で、昆虫キッズ、片想い、スカートというスリーマン(12月3日、〈両想い〉)がありました。当時の動員記録を塗り替えたライブになったという噂をききました。

──Rojiでのライブもありましたよね。10月2日だったかな。『ストーリー』のプレス代を稼ぐという名目で急遽企画された記憶があります。

 そうそう! 当時のRojiは髙城くんのお母さんのルミさんもまだお店に立っていて。「いやー、そろそろ出したいんですけどプレス代がないっすわー」って話をしたら、「じゃあうちで投げ銭でやればいいじゃない?」ってルミさんが言ってくれて決まったんです。

──日曜日でしたよね。43曲やった。こないだの三井ホールのMCでも言及されていた「過去に43曲やったライブがある」というのが、あれだった。ブログ(「幻燈日記帳」)やmixiにその日のセットリストが残ってますけど、帰宅後にユーストリームで弾き語り配信もやっていて、それまで含めると全59曲!

 スカートのワンマンとしてもあれが初だったと思いますよ。あのとき4、50人入って結構な額になったし、プレス代の助けにもなりました。でかかったですね。

──そして12月15日に『ストーリー』が出ます。

 『ストーリー』ができたときの手応えは、『エス・オー・エス』のときよりもめちゃくちゃ大きかったんで、これが世に出たら何かは起きるんじゃないかという気にはなってましたね。

──僕が澤部くんに初めてロング・インタビューしたのがその直前で、まだどういう反応があるかに対してちょっと不安げだったのを覚えてます。でも、結果的に『ストーリー』がスカートの運命を切りひらく作品になりました。

 タイトル曲の「ストーリー」は、最初は女性ヴォーカルで宅録で作ってて、ライヴでも何度かやって「これはこれでいいんだけどな」というくらいの感じだったんです。正式に出すときのカップリングは、バンドの演奏にしようと決めてたんですけど、それを録る当日に、「ちょっと相談なんだけど、「ストーリー」をみんなでやってみない?」って言って。やってみたら、「もうこれで決まりだわ」みたいな感じになりました。
 結果『ミュージック・マガジン』でも10点をいただいて。いろんな意味で、全部がうまくいった気がしますね。

(2012年に続く)

《澤部渡が選ぶ2011年の漫画と音楽》

漫画:見富拓哉『エラッタ 彼岸泥棒集成Ⅱ』

トーベヤンソン・ニューヨークのリハーサルのあとにみんなでコミティアに行ったんですけど、それが初めてのコミティアで、そこで買ったのが見富さんのこのまとめ本でした。親交ももうあったわけですけど、コミティアという場所でこの本を買った、っていうのは自分にとっては大きい気がしますね。

音楽:大滝詠一『A LONG VACATION』

この年はいろいろ印象的な音楽が沢山あったんだけれども、今でも思い出すのは3月13日のリハーサルの前にシャムキャッツの「渚」を買おうと立ち寄ったユニオン本館の地下(日本のロック・インディーズ館)で流れていた『A LONG VACATION』です。コロンビアのポータブルプレイヤーで流れていて泣きそうになったことをよく覚えています。

Interview 03
2012
Coming Soon / 23th Oct Open
Interview 04
2013
Coming Soon / 30th Oct Open
Interview 05
2014
Coming Soon / 6th Nov Open
Interview 06
2015
Coming Soon / 13th Nov Open
Interview 07
2016
Coming Soon / 20th Nov Open
Interview 08
2017
Coming Soon / 27th Nov Open
Interview 09
2018
Coming Soon / 4th Dec Open
Interview 10
2019
Coming Soon / 11th Dec Open

Movie

Profile

どこか影を持ちながらも清涼感のあるソングライティングとバンドアンサンブルで職業・性別・年齢を問わず評判を集める不健康ポップバンド。強度のあるポップスを提示し、観客を強く惹き付けるエモーショナルなライヴ・パフォーマンスに定評がある。2006年、澤部渡のソロプロジェクトとして多重録音によるレコーディングを中心に活動を開始。2010年、自身のレーベル、カチュカ・サウンズを立ち上げ、1stアルバム『エス・オー・エス』をリリースした事により活動を本格化。これまでカチュカ・サウンズから4枚のアルバムを発表し、2014年にはカクバリズムへ移籍。アルバム『CALL』(2016年)が全国各地で大絶賛を浴びた。そして、2017年10月にはメジャー1stアルバム『20/20』を発表。昨年にはメジャー1stシングルとしてリリースした「遠い春」が映画「高崎グラフィティ。」の主題歌、カップリング「忘却のサチコ」が高畑充希主演のドラマ「忘却のサチコ」のオープニングテーマに起用された。そして、2019年にリリースした最新シングル「君がいるなら」には大泉洋主演映画「そらのレストラン」に書き下ろした主題歌と挿入歌を収録。また、そのソングライティングセンスからこれまで藤井隆、Kaede(Neggico)などへの楽曲提供、ドラマ・映画の劇伴制作に携わる。更にマルチプレイヤーとしてスピッツや鈴木慶一のレコーディングに参加するなど、多彩な才能、ジャンルレスに注目が集まる素敵なシンガーソングライターであり、バンドである。
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